左右を高いマンションに囲まれた公園まで続く歩道に冷たい風が吹き抜けていくのを身体の正面で受けながら、首をすくめて身体を硬くして前傾姿勢で歩いて、歩道から公園のなかへ入って駅の方角へ向きを変えると、まだ午前中の低い角度にある太陽の光がまともに目に入って眩しさで周囲の景色が見えにくく、木々や芝生の地面や周囲の民家などの景色が光の眩しさに邪魔されながらかろうじて見えるが、太陽の光はまるでストロボのように無音のまま真っ白に炸裂し続ける輝きとして視界の半分以上を白黒の粒子状にざらついた質感に変えてしまうので、そのおかげで光の方向へ歩くには視線を下に向けるしかなく、時折前を見るたびに光は容赦なくまともに目を差して、視界の上半分には何も認められず、下半分に真っ暗な前景が明滅しながら足元と繋がっているのがわかるばかりだ。しばらく歩いて桜の木々が立ち並んでいるおかげで光のところどころ遮られる小道に着くまで、この暗闇のなかを足元の地面が続いているのを頼りに進んだ。


体重は、この値を越えてはいけないという決まりが自分の中にあるのだが、先日ついにそれを越えたため、これは再び決断のときが来たと思って、本日ものすごく久しぶりに水泳にでかけた。たぶん約一年ぶり。水泳ははじめてしまえばそれなりに身体的にも気分的にも快感があり継続しやすいのだが、一旦やめてしまうと再開するにはもの凄くパワーがいる。こんな寒い時期にわざわざ用意してプールまで行って更衣室で着替えて、という一連のことがものすごく面倒臭い。しかも、今日は行く前からある程度わかっていたけど祝日でお子様がいっぱい居る日なのでコースが狭くてゆったりのんびり泳げるわけではなく、結構込み合ったなかをせいぜい実質15分かそのくらい泳いだに過ぎない。しかし、こうして泳ぎ終わると水泳あるいは運動全般に云えるだろうけどやはり馬鹿にしたものではなくて、たったの15分でもそれなりに全力で泳ぎ終わって着替えて外に出ると、運動後の身体の内側から強く発熱しているおかげで、行きは長袖シャツ、タートルネック、ネルシャツ、パーカーと重ね着していたのに、帰りは極端に薄着で、ネルシャツ、パーカーのみで建物を出ても、さっきまであれほど寒かった外気がむしろ身体に気持ちよいと感じながら歩いている。この唐突ともいえる身体の寒さへの抵抗力アップ効果への驚きが、ふたたび継続して泳ぎたいという意欲をよみがえらせるわけだ。また、泳いでいるだけではなかなか減量できるものではないだろうが、今までの実績として平日の夜に三十分も泳ぐと、疲労感でその日の夜は食欲が大幅に減衰して、それがかなり効果的な減量のきっかけとなって比較的短期間で結果にあらわれやすい。しかし運動とか減量というのは、数値的な何かを目標にしても面白くないもので、身体運動にともなう快楽にくわえて、空腹でありながら食欲が無くなった状態、いわば疲労にともなう快楽を味わうような取り組みであることで、少なくとも自分の場合は継続できるように思われる。