泳いだ。約一年ぶり。これだけ間が空くと、おそらく泳ぎ始めてすぐ全身が重しを乗せたようになって、心臓が膨らみ、息があがり、たちまち這う這うの体となって、プールから上がるのにも難儀するくらいキツイのではないかと予想していたのだが、意外にもこれまでとさほど変わらぬペースで泳ぐことが出来た。ただ手の動きや足を動かし始めて、ああたしかに、こんな感じだった、この手順を繰り返すのだった、と動かしながら思い出すようなところがあり、まるで脳が完全に忘れていることを、各肢体が個別におぼえていて、その情報が脳へ逆流していくような感覚をはじめの一瞬だけ味わった。

そして泳ぎ終わったあとの、全身を薄っすらと宙に浮かんだような疲労感が包み込んでいるこの感覚。これぞ運動後の快楽にほかならず、ああそうだった、水泳の良さはこれに尽きるのだった、これを味わうために、あの三十分を黙って仕込むのだし、なるべく間隔を空けずに通う気にもなるのだと、そのことを思い出した。

だから泳ぐという行為の報酬はそれに尽きているわけで、それ以上を求めるほうがおかしい。酒を飲んで楽しい気分になったら、それ以上を求めないのと同じで、泳いだら、泳ぎ終わった感覚を味わうだけだ。決して健康とか体力について考えてはいけない。そういうことへの「投資」ではない。そのように考えるから我慢になるし、やめてしまいたくなる。