新潮の5月号を読む。今回で5回目となる磯崎憲一郎の連載「電車道」が、一回目からことあるごとに「人生の浪費」「人生の冒涜」に、決して甘い顔をしないので、読んでいてたびたび後ろめたいような、やや塞ぐような気持ちになるというか、ある種の不安のような焦燥感のような思いにかられる。「電車道」は読んでいるだけでひたすら愉楽的に楽しんでしまえるのだが、そのはずなのに、気持ちのほんのわずか、ぼやっと翳りが生じる。


いやいやいや、それは違う。そんな風に思わなくてもいいのだ。じつは僕にだって相当な考えがあるのだと、いまさらのように自分に言い聞かせるのだが、それもむなしく思うほどたしかに時は確実に過ぎ行く。このまま最期になってばたばたとあわてることになるのかもしれないが、とはいえ、だからと言って今すぐひょいひょいと何かに向かって動けるわけでもない。


というか、僕もほとんど、この小説に出てくる登場人物と何も変わらない、いやここの書かれている登場人物の生そのものというか、つまり彼らであって、実際、僕もつくづく、書く人間ではなく書かれている人間なのだな、と実感する。書く人は、多かれ少なかれ誰もが、書かれている人なのだろうが、しかし書かれる前と後の、この時間差の不思議さ。これこそが書かれていることの特異性であり、この落差、この落ちる感じがなかったら、何かを読んで面白いと感じることもさほど無いのかもしれない。


仕事も…そろそろばたばた忙しくなりそうだし。


松浦寿輝「名誉と恍惚」。1937年、上海もの。こ、これは…すごいベタベタで最高だ。早く絶世の美女が登場してくれないかと期待がふくらむ。


森田真生「繊細と幾何学」。ノイマン(型コンピュータ)とかゲーデルとかチューリングマシンとかについてざっくりと知ることができて良かった。「プログラム内蔵方式」のコンピュータ"EDVAC"は命令がメモリ上に置かれているのが特徴で、そんなのあたりまえじゃんと今なら思ってしまうが、これは目から鱗。それ以前は命令が電子媒体上に無かったのだ。つまり再帰、再利用できなかった。毎度配線し直して新規に呼び出すのだ。こういう歴史を知ると、ちょっと唖然とする。これって、つまりそれまで「関数」というものが実現できてなかった、ということだろ。プリセットされた命令を任意に呼び出せないのだから、それは今のコンピューターとはまったく似て非なるものだ。

チューリングは、数を計算するチューリング機械そのものを、数に置き換えた。これによって数は、チューリング機械"によって(傍点)"「計算される」ものでもと同時に、チューリング機械"として(傍点)"「計算する」ものでもあるという、両義性を獲得した。(中略)

 フォン・ノイマン型の計算機は、この万能チューリング機械の物理的な実現だ。そこでは「命令」と「データ」が、同じメモリに保存される。これによって数が、操作されるもの(データ)でありながら、同時に操作するもの(命令)でもあることが可能になり、チューリングの万能性が、電子計算機の中に実現された。(中略)

電子計算機の中で、”数”は、もはや人間の身体を媒介せずに、自分で自分を計算できるようになった。こうして「計算する数=ソフトウェア」が誕生した。 (「繊細と幾何学」)


なるほど、そうだったのか。おそろしく腑に落ちた。演算処理能力って、イマイチぴんと来なくて、それこそクルマのエンジン開発みたいに、一万回転が一万一千回転になった、みたいな職人的な話だとばかり思っていたけど、こういう概念的な改革の歴史なのか。…というか、今もそうなのだろうか。ウチの会社にも一部ハードオタクというか、CPU好きがいるけど、でもこの手の話に詳しいとは思えないが…。


今「関数」(function)でウィキペディアを見てみたら「この言葉はライプニッツによって導入された。」とある。そうだったのか!コンピュータというのは、やはり一つの具現化ではあったのだな。まず値があって、その内訳としての仕組み、構造、というか、その世界すべてを、好きなときに瞬時に呼び出すことができて、戻り値を得るという、二百年前だったら神をも蒼ざめさせるような、とんでもない発明だ。


このへんの話はたしかに、深く入ったら面白いのだろうけどな。