七時半頃、横浜駅のホームで妻からメールが来て、「芥川賞柴崎友香」と知って、おおー!と思った。なぜか妙なことに、不思議な得体の知れない何かが胸にこみ上げてくるような思いがして、そういう自分にややあきれる。でも「春の庭」は素晴らしかったので、これはほぼいった!と前から思っていました。(後出し発言)


作品というのはたぶん、あるふとした思いというか、ちょっとした意識の引っ掛かりというか、夢というか、記憶というか、そういう本来なら、現れるやいなやすぐに消えるような儚いモヤのような何かが、不思議な方法の組み合わせによって、たまたま物に化身してそこに留まっているような状態のことではないかと思う。そういう作品に触れて、それが素晴らしいと思って、忘れることができなくなるような、驚かずにはいられないような、好きにならずにはいられないような思いに駆られたりすることもある。


自分でも他人でも、誰でもかまわないし、現実でも空想でも、現在でも過去でも、未来でも関係なく、とにかく、考えたこと、思い出したこと、浮かんだこと、など、そういうものが、とても大切なのである。大切と言っても、そんなものを大事にしておけるような、大切にしておけるような手段はないし、意味もわかりづらい。共感も得られにくいだろう。しかし、ある種の作品は、そういうものがほんとうに大切なのだということをはっきりと宣言しているように感じられるではないか。だから、僕も、他の誰かも、これからも引き続き、そういうことをもっと大切にしながら生きるための、もっとより良い方法を考えなければいけない。おだやかに、のんびりと気の長い態度で、しかし鋭敏に気付き、察知する力を養うということ。それが、芸術家の味方だということである。