一日家でごろごろしながら本を読み散らかす。窓から涼しい風が時折入っては来るけれど、じっとしていると、どうも暑くて落ち着かない。でも、冷房を入れようか、とはならない。どうも、やはりまだ夏が消えたわけでもないようだとは思う。一昨日は多摩の緑地、昨日は北の丸公園付近と、わりに木々や緑の多い場所をうろうろと徘徊していて、ツクツクボウシが喚く凄まじいまでの大音響をさんざん耳にしていて、ツクツクボウシの鳴き声に夏の終わりを感じるかというとあまり感じられず、あれだけの日差しの下で、あの音響に包まれていたら、さすがに暑い。


先々週くらいに石井桃子、今日は岸信介と、評伝を続けて二冊読み終わった。昨日買った本は開高健とか辻井喬とか、別にあらかじめそういう意図で選んだわけではないから当たり前だが、皆、日米安保の時代に、その前後の様子が、それぞればらばらで何の共通性も感じられないような人たちばかりだ。


開高健は、僕は色々と読んでは途中で読みやめた本がいっぱいあるのだが、とにかくどれも数ページ読んだときの興奮は凄くて、でも三十分くらいすると次第に飽きてくるというのがパターンになっている。でもたまに読むと、やはり文章の切れ味がもの凄いので気持ちが良く、それになんとなく、昭和の住宅の匂いみたいな、ほのかに懐かしい香りもするし。いつも忘れた頃に読みたくなる。


辻井喬「叙情と闘争」という本、まだ少ししか読んでないけど、とりあえず、すごくありふれたような、内気な坊やが独白しているような、内省的な文体なのに、父親の秘書官を勤めていた時代や社長時代について、内外の大物や歴史的有名人なども含めた、まさに堤家の御曹司で経営者、という感じの、凄い話が綴られており、でも思い切り左翼シンパでもあり、何か、やってることと語りの形式の落差があまりにも大きすぎるというか…まあ、普通に読めば読めるのだが、これってやっぱり異常なことではないか…、でもこういうのが普通なのかなあ?いやむしろそれが面白いのか、とか思いながら、読んでて呆れるやら笑うやら、何とも妙な気持ちに…。


森茉莉の本を久々に読んだら、昔読んでほとんど忘れていたけどかすかな印象がそのまま甦ってくるような文章で、ああやっぱりおぼえてる、と思う。


堀田善衛「上海」という本。これ、けっこう面白そう。いつ読むかはわからないが。


で、今「堀田善衛」をウィキペディアで調べたら宮崎駿が最も尊敬する作家と書いてある。へえ、そうなのか。そういえば石井桃子の仕事も、宮崎駿にとっては、かなり重要だったと思われ、宮崎駿研究において、石井桃子の仕事を参照するのは必須かもしれないな、などと評伝を読んだときには思った。


あと、ヘンリー・ミラー「マルーシの巨像」、これ、旅行する本だったのか。最初の数ページを読んだらかなり面白そうだったので買う。