夜、寝ていて何度か目覚めて、どうも寝苦しく、体調が悪いような気がして、まずいなあ、このまま翌朝になって、しっかり風邪引いてたらどうしよう、などと思っているうちに、また眠って、明け方になったなと、意識の片隅で感じて、そのうち枕元のアラームが鳴り、あえて早い時間に鳴るようにしておいたものなので、もう一度、三十分後になるようにセットしなおして二度寝して、二度目のアラームで起きたら、意外とすっきり普通の体調だったので、とりあえず安堵する。


とはいえ、本調子ではない。本調子ではないから、いつも通りではないなあ…、とか、思っていたら、やけに忙しくてせわしない一日だったので、風邪だとか言ってる場合じゃなくて、あれよあれよというまに一日が終わってしまった。


昨日の日中、妻に「ねえ、西行花伝って、空海の話だっけ?」と聞いて、「え!?西行の話じゃないの?知らないけど。」と言われて「あ!そうか、西行か!」という、…もの凄いやり取りをしてしまったのだが、そのあたりから体調がすぐれなかったのかもしれない。


仏教のこととか、全然知らないなあと思う。たしか辻邦生の「西行花伝」は十何年か前に三分の一くらいは読んだような気がする。まだ無職の頃で、父親の住まいで、ただだらだらと何もすることのない一日を過ごしていたときに、部屋にその本がぼそっと置いてあって、読んだらけっこう面白かったような気がしたけど、途中まで読んだら埼玉の実家に帰る日になってしまって、分厚くてデカイ本だったので持ち帰る気にもならず置いて帰ったので、読むのも結局そのままになってしまった。


ぜんぜん関係ないけど、山下洋輔の「ドラバダ門」という小説があって、これは大学生のときに読んでいて、当時はかなり面白いと思って読み進んでいたのだけど、これもたしか、うっかりどこかのお店に忘れてしまって、手元に戻ってこず、結局読むのも途中までで終わってしまった本だ。西行花伝もそうだけど、どちらも面白かった、という記憶はあるけど、なぜかちゃんと本を買うなり借りるなりして、その続きを読もうとはしなかった。でも僕はわりとそういうことはたぶん比較的多いタイプの人間だと思う。で、今となってはどちらの本も、どんな内容だったのか、まったくおぼえていない。でもたぶん「ドラバダ門」は仏教とは関係なかったような気もするが。


で、今はとりあえず、仏教のことも昔の僧侶のことも、ほんとうに無知だな。滋賀県比叡山延暦寺、なんて、今インターネットで出てきたのを見て、おお、これがあれか。、、なんて思ってるくらいだ。最近、古井由吉を色々とあれを読んだりこれを読んだりしてると、そういう自分の無知さを痛感するので。