ヤスオ

夜になった時点で、体調回復が確定的の感触を感じる。この調子で最少に近いロスで留められるなら良いのだが・・・。数日前から読んでいる田中康夫「33年後のなんとなく、クリスタル」は、前作のような"由利"一人称形式を勝手に期待していたのだが、本作の主人公は"ヤスオ"だった…。で、この"ヤスオ"は、ウキウキ躁状態というかおじさんのお花畑というか、なにしろクセがスゴイので(涙)、ちょっと読み続けるのは辛い…と思ったが、巻末の"註"をメインに読んで、逆に"註"の補足として本文を断片的に読むようにすれば、わりと読めることがわかった。"註"のかなりの割合で政治家"ヤスオ"のマニフェスト的言説とか国会での実際の質問とかが収録されているのだが、今から二十年近く前にもなるけど僕は個人的には"ヤスオ"が長野県知事になったときは、たしかそれなりに注目してニュースとか新聞を見たように思うし、落選したときは、ああそうだったか…などと思ったりもして、本作に書かれていることも、一つ一つは、ああもっともだとも思うのだが、しかしなにしろ、こういう問いやら課題や改善点やら提案やら訴えやら何やらは、これにかぎらず人や星の数と同じくらい無数にあって、訴える側の一人一人は当然必死で、聞く側はあーはいはいと事務処理顔で、全部がまとめられてざっと優先順位を振られてひとまずキャビネットに収まって…というプロセスこそが制度というものだなと、それを思うと心からの虚無のため息を漏らしたくもなる、などと今更そんなこと言って何が楽しいのか、みたいなことを書いてる。