むかし

森茉莉「ビスケット」を読む。これが収録されている「私の美の世界」はたしか二十代の頃読んで、すでに内容はほとんど忘れてしまったが、久々に読んだらなんとなくなつかしい。それにしても森鴎外の娘であるならばどうも計算が合わないというか「この感じ」との整合が取れてないような気もして、よくよく調べたら森茉莉1903年の生まれ。「私の美の世界」刊行時で、すでに六十代半ばなのだな…と、虚をつかれる思い。

古川緑波「悲食記」(抄) を読む。日記として、必要最小限のことだけ、箇条書きのように、あるところだけは少し多めに、スピード感をもって書き連ねていく感じ。最強に脂の乗った、ノリにノッてる人物の、その時間感覚をもって書かれている感じ。文の感じが、先日読んでいた筒井康隆「日々不穏」を思い出させる。食い物の話ばかりだが、戦時下のもっとも厳しい時期にこれだけの食事が可能というだけでもすごい(映画のロケ先の地方で、その地に住む人々からしょっちゅうもてなしを受けている)。厳しく暗い時代だというのに、ほとんど屈託なしで、清々しいほどだ。

近藤紘一「夫婦そろって動物好き」(抄) を読む。ベトナム人の奥さんが、デパートの屋上に売っていた可愛いウサギを二匹買ってきて、最初は可愛がるのだが、一匹の性格がヤンチャで部屋を汚したりものを壊したりするので、奥さん最後は業を煮やして「私は決めた」と母語でつぶやき、翌日職場の夫に「ソテがいい?グリエがいい?」と聞いて、帰宅した夫がまさかと思ってベランダを見たら、あたりは血みどろ、はたしてウサギはきれいに皮を剥がれて調理寸前のかつてウサギだったモノになり果てていた、夕食は家族三人で食べきれないほど豪勢な肉料理となり、これが大変美味しかった。そして後日、比較的おとなしい気質のもう一匹のウサギも、ほどなくしてやはり同じ運命を辿った…という話。これは1978年の「サイゴンから来た妻と娘」という本に収録されていて、当時ミリオンセラーになりテレビドラマにもなったらしい。そのドラマの主題歌がカイン・リーの「美しい昔」…と、ここまでネットで調べて「あ!」と思った。埼玉の実家に、シングル盤のレコードで「美しい昔」というのがあったことを、とつぜん思い出してしまった。あれか!と思った。あのとき、あの歌が聴こえてきたとき、つまり僕は、7、8歳だったのか。そもそも「昔」という漢字は"むかし"と読む、それをあのときに、生まれてはじめて知ったのだ。そんなことまで思い出してしまった。