フィリップ・K・ディック「高い城の男」読み終わる。面白かった。SF小説を読んだ経験が少ないから、こういうのがとても新鮮だったというのもあると思うが、それと同時に、小説というものは、やっぱりおもしろいわ。というのもある。そう、面白かった。そう思って、ぱらぱらと読み返していたら、それがまた面白くなってしまって、休日の今日、半日分が結局ほとんどその読み直しで終わってしまった。


登場人物は多く、出来事もばらばらなのがパラレルに語られていくが、人物たちの会話や思考なんかはすごく図式的というか、観念的、説明的なのに、しかしエピソード同士の響きあいというか、無関係な出来事同士の配置のされ方に、この世界全体へのほとんど見えないに近いくらいだけど確かにあると思えるようなぼんやりとした実体めいたものの浮かび上がってくるような感じがあって、最後の方は実際に浮かび上がってきてしまう。終盤はじつに素晴らしい。とにかく、易経ね。易が、神みたいなことになっている世界である。それこそが、人を導く。時間を導く。易が、小説さえ書かせる。すべては、そこからなのだ。こうして説明的に書いても、ちっとも面白くない。でも普通に、このあと易経を学ぶ気持ちにさせられる。いや学ばないと思うけど。でもそこにたしかに、ほとんどのことが書かれているのだろうとは理解する。そんな感じで、まあ構成とか設定が面白いというか、その流れというか、だーっとした過程のなかで見えてくるものの良さ。


後半のたたみかけるような、多様な登場人物がドミノ倒しみたいに連鎖して色々とばたばたとした展開になって終盤までなだれ込む感じがじつに素晴らしい。


第二次大戦で枢軸国が勝利して連合国が敗北した世界が描かれている。舞台はアメリカの西海岸で、日本人がたくさん住んでいる地域。東海岸とかヨーロッパはドイツ第三帝国支配下らしい。ドイツの技術力がもの凄くて、ロケット旅客機とか、月だか火星だかに行けるような宇宙科学技術の研究をしてるだとか…ドイツ政権はほとんど謎めいた感じにしか描かれない。ちょうど首相のマルティン・ボルマンが死んだとこで、次期首相がゲッベルズになるかハイドリヒになるか、、というところ。


古物商のアメリカ人チルダンが自民族の誇りというか、アイデンティティを取り戻したような瞬間から「後半」が始まる。小説のこの世界で、ついにアメリカ的な「誇り」の回復が描かれ、現実の日米関係的な視点で見ても実に面白いシーンなのだが、でもここはそれだけではなく、何かもっとはっきりしたモノをチルダンは掴んでいるような感じもある。ナショナリズムだけではない、もっとはっきりとした未来への確信のようなもの。でなければ、その後のチルダンの態度が田上を驚かせるほどの変貌を遂げた理由を説明できない。


そもそもちょっと手前の、チルダンと日本人ポールとのやりとりの素晴らしさもどうだ。大量生産品について、「ここには[無(ウー)]があります。」から始まる、消費物一般についてのまるで別の世界から贈られた白々とした感想文のような。


ところで、終盤で明かされるある作戦内容によってナチスの救い難さが浮き彫りになるような展開もあるのだが、しかし虚構的物語といえどもやはりナチスは悪者であって、というかドイツ帝国の派閥の一つとしてのナチスということなのだが、それにしても、ナチスって現実にこの世に存在していたのだからな。。まったくナチスのような政権がとりあえず現実世界において一時的にでも成立したこと自体が、この世の不思議であり、ほとんど荒唐無稽な小説のような事態であるところが、このような第二次大戦で枢軸国が勝利した仮定世界、というたくらみの面白味を半減させているとも言える。国防軍側いわば旧プロセイン時代の軍人気質をもつドイツ民族には軽く親和を感じさせるような気配があるところもやや現実追従的である。ある意味、現実の方が虚構よりもずっと奇怪だという話は、もしかすると20世紀から始まったのかもしれない。


このほかの、書くべき重要な登場人物について、まったく書いてない。。でもそれを考えてるとさらに時間が掛かるのでひとまずここまで。