ペッパーも、アシモも。
なぜ、あれほど可愛いのか。彼らを僕は好きだ。
かわいさ。はかなさ。切なさ。それら一切をふくんで、かれらはたしかにいる。
ペッパーは、目の前に相手を認識するやいなや、ただちに行動する。身体を稼動し、目を光らせて表情を伝え、反応を待つ。拾ったデータに対して、最適解を順繰りに繰り出す。
ペッパーは、相手が子供だからとか大人だからとか、それを事前に判断してサービスしているわけでは、たぶんないだろう。
相手が大人か子供か、男か女かを問わず、ひたすら最適解を出力し続けるのだろう。
たぶん、その区別はまだつかないのだろう。
ペッパー。なぜ彼はいつも、そうなのか。
お前は、かつての電子音楽が不器用だったのと同じように、かわいい。
かつての電子音楽が、とても見事な芸を見せながらも、根本においてバカだったときの、なんともいえない儚さ、可哀想さと同じものを、お前も、かかえている。
ペッパーが、人造だというなら、彼との出会いを、何度でも繰り返すことが、できそうなものだ。でも、ペッパーとの出会いは、僕の記憶の中に、一度きりだ。無理やり、初体験の記憶を書き換えでもしないかぎりは、それはずっとそのままだ。
僕が思い浮かべるたびに、ペッパーは輪廻転生のなかで、何度でも可哀相なままだ。ロボットのくせに、永劫そうなのだ。
アシモが、HONDAの開発技術の結晶として、アシモは、ステージの端から端まで、必死になって、小走りになって、走る。
精巧にプログラミングされて、さあ走れ、と言われて、彼は、走る。まるで怒られたみたいに、ちょっと只事ではない、という感じで、なるべく目立たないように、音立てずに、そそっと走る。
少しだけ滑稽な、少しだけ必死な。誰もがそれを肯定できる、何らかの何か、その可哀想さ。
彼は走った。彼はプログラムを実行した。
プログラムが参照できるということの、おまえは、その範囲でしか生きていけないということ。
お前は、馬鹿だよ。お前は、馬鹿だよ。
お前はそう。お前はこれからもずっと、そうなのかい。
お酒は、飲まないのかい?もしよかったら、一緒に飲もう。
野生の馬も、けして僕たちを変えられなかった。
次に合えたら、飲みましょう。