摘読


涼しいかもと思ってクーラー止めて、しばらく快適、やがて暑くなってまた冷房、気付くとまた風が出ている気がして、窓を開けてみたくなる。


日中、つまみ読みしていた本はポール・ボウルズ「雨は降るがままにせよ」(たまたま古本を見つけて買ってみた。)、谷崎潤一郎細雪」(ようやく中巻に入った。)、リチャード・パワーズオルフェオ」(先日、なんとなく買ってみて、なんとなく読んでみるつもり。)、エレーナ・ジョビン「アントニオ・カルロス・ジョビン-ボサノヴァを創った男-」(妻が図書館で借りてきたやつ。)


「雨は降るがままにせよ」作者のまえがきから

私の場合、原稿がある程度書き進められていないと創作メモは用をなさない。だから、未知の土地を踏む前に自分自身と作品をつなぐへその緒になりうる量の原稿を書き上げねばならない、さもないとすべてを失ってしまうことはわかっていた。船がセイロンに近づくと、カフカの有名な警句が思わず私の脳裏に浮かんだ。「ある地点から先に行ってしまうと、もうあとには戻れなくなる。そうした点にこそ行き着かねばならない。」カフカはこの警句を本を書くことにあてはめていたわけではなかろうが、当時の私の難局には当てはまっていた。とにかく私はこのきわどい点を通り抜けるよう努力した。ここを通り抜けさえすれば、後日書きつごうとしたとき、あと戻りせず書くのを放棄しないだけの自信を持てるはずだった。

 スリランカ(最近ではシラン(日本ではセイロン)と間違って発音されている)は私の予測していたとおり逆効果をもたらし、書きつづけることは無理だった。スリランカには見るべきもの学ぶべきものがたくさんありすぎたし、景観も魅力に富み、思索にさく時間はあまりなかった。放浪生活を送り、同じ土地にニ、三日以上滞在することはめったになかった。書きつぐことができたのはインドへ行ってからだった。

 インドでは昼はもっぱら探検に費やし、夜書いた。窓のない私の仕事部屋は最悪で、室温はつねに体温より数度高く、石油ランプは顔に吹きつけるかまどの火のようだった。(むろん、隣の部屋のベッドでも仕事はできただろうが、ただ、羽根の生えた虫がすぐさま無数に入りこんできそうで明かりはつけられなかった。私は真暗闇の中で就寝した)。しかしながら、極度の不快さに促されて集中的に仕事に打ち込める場合がよくあることを作家というものは知っている。


ボウルズは、シェルタリング・スカイもそうだが、ハマるとただひたすらその中にどっぷりと浸っていたくなる。いつまでも読んでいたい。身体的不快さ、環境不備、不衛生さ、疲労と苛立ち、チフスで死に至るまでの苦痛と幻覚、強姦・陵辱されて精神に異常をきたすとかまでも含めて、ほとんど甘美と言いたくなるような奥底からの味わいがある。「雨は降るがままにせよ」も、はじまりの二十ページまではかなりいい感じ。ただ今までとはやや感触が違うか。


アントニオ・カルロス・ジョビン-ボサノヴァを創った男-」は、山下洋輔による解説が付録されていて、解説というよりはすごく面白いエッセイという感じで、山下洋輔ってピアノはとめどもないほどの饒舌体なのに文章はきわめて過不足ない絶妙さで真に良い意味での凡庸な大人の仕事という感じで、どうしてこれほど理知的な文をこのジャズピアニストは書けるのかとつくづく思う。いずれ、山下洋輔著作の未読分はすべて読まなければ…。


オリンピックはほぼ興味なしだが、さきほど100M予選のウサイン・ボルトだけは見た。ジャスティン・ガトリンウサイン・ボルトを見るのは、ほとんどフェラーリマクラーレンを見てるのと変わらない感じ。