子供の頃に乗った遊園地のフライング・パイレーツは怖かった。あれはマジで、なんでわざわざ、あんなものに乗らないといけないのか、意味がわからなかった。昔から怖いものは嫌いだった。極度に恐れていたと言って良い。怖いもの見たさな気持ちの、まるでない子供だった。
爆竹だの打ち上げ花火だのも、たぶんそれほど好きじゃなかった。やかましい音楽とかも、嫌いだったはずだ。しかしそういうのはなぜか、中学生くらいから好きになってくるから不思議なものだ。自転車で、すごいスピードで走るとか、雪が降ったらソリで遊ぶとか、そんなのも好きだった。スキーは一度しかやったことないが、好きな人に何が楽しいのか聞いたら、スピードだと言っていた。やはりスピードの出るものは、人は好きなのね。音楽もやたら速いものが好きな人って、いる。
でも高いところから落ちたいっていうのは、ないのだ。だからパラシュート降下とか、バンジージャンプとか、もちろん遊園地の絶叫マシンも、まるで乗りたくない。飛行機も乗りたくない。でも船なら、乗りたいのだ。船の甲板から海を見下ろしたい。これは、強く思う。とくに最近、よく思う。謎だ。
会社で、非常食が配られた。災害時等の対策として、五年間くらい保存のきく、レトルト製品の詰め合わせみたいなやつだが、普通に市販されてるレトルトとは違って、暖めずにそのまま開封して食べられるようなやつらしい。今回配布されたのは全部日本製のパッケージで、あまり非常食な感じがしないが、5年前に配布されたやつは外国製の如何にも非常食という感じだった。革靴でも入ってそうなずっしりと重い紙箱で、中には銀色のレトルトがいくつも入っている。半分は水の入った袋で、もう一個小さめの塊はぎゅっと小さく圧縮された毛布らしい。そして一番大きいやつがパン?だかクッキー?みたいな、固形でやたらと高カロリーに作られている食べ物らしい。
パッケージには太いゴシック体で「Emergency… rations」とか書いてあって、「レーション」という語句が、昔プレイステーションでその手の、戦争ゲームみたいなやつで拾ったアイテムにあったなあ、それで体力回復するやつだなあと、懐かしく思い出された。
こういうものは、美味しくないだろうけど、なぜか食べたくなる。宇宙食、などというものもそうだが、ちょっとだけ食べてみたいと思わせる。そう思わせるのはなぜなのか。今日は五年前の賞味期限切れる寸前のレーションを何人かで食べる会をその場で開催したのだが、結局ほとんど残ってしまった。でも、そんな状況で味見したって、美味しくないにきまっているのだ。こういうのは、全部シチュエーションで決まる。というか、食べ物なんてみんなそうだ。
レーションじゃなくても、ふつうのお弁当でもそうだ。弁当独特の美味しさというのは、あれはいったい何なのか。食物を運んできて、移動先でそれを食べると、異常なくらいに美味しく感じるというのは、人間が奥底にかかえている神秘的な感覚の妙と云えよう。