帰宅


ハエが飛ぶ音で目が覚めた。港町の海沿い、干物がびっしりとまるでソーラーパネルのごとく天日干しされた場所から三十メートルも離れていないから、ハエやらフナムシやら猫やらが周囲にいっぱいいる。その天日干しと道路を挟んだ向かい合わせに観光客を相手の売り場があって、Sの母親と奥さんと、お手伝いの女性が、忙しそうに立ち働いている。その忙しい合間に用意してくれた朝食はアジの開きとご飯と味噌汁と、きわめて質素ではあるがこれがほんとうに、しみじみと美味しい、素晴らしいと思う。アジの身を箸で細かく細かく取りながら、できるだけ長く食べていたい、食べ終わりたくないと思う。ふだん白米をほとんど食べないので余計に美味しいと感じる。


朝食後、さしあたりする事はなく、畳の上に寝そべっているばかりである。子供たちはこれから海に行くらしい。Sは早朝から釣りに行ったらしい。深夜まで飲んでいたのに大丈夫なのか。日差しは夏らしく強烈だが、まだ朝の時間帯だからか、涼しくて快適だ。冷房もせずに窓が開いてるだけで、ひたすら風が入り込んできて、その場にいて肌が汗ばむことはまったくない。しばらくして、厚かましくも缶ビールをもらう。親戚とはいえ他人の家で午前中から酷い態度だが、夏休みは僕は、いつもそうだ。この家の、Sのお母さんはたしか僕の父と同年齢だったはずで、だとしたら七十代後半だけれども、たしかに昔と較べたら少しは老いたようにも見えるが、その働き方を見ていたら、なんという快活さかと驚嘆する。僕が畳に寝そべってビールなど飲んでいるひとときの間、外の作業場を右から左へ早足で歩いて行って、しばらくしたら魚の入った籠を両手で持って戻ってきて、さらにしばらくしたら軽トラックに乗ってエンジン音を響かせながら出て行って、しばらくしたら再び戻ってきて、また反対側から何かを抱えて作業場まで歩き去る、といった按配で、とにかくひたすら立ち働いている。信じがたいほどの労働量である。というか、慶弔関連の催し一般もそうだけれども、どうして田舎の親戚家の、夏のお盆つまり墓参りを控えた時期というのは、男性はこうして寝そべり女性は働くという構図が、ある種の様式美というか、どうしてそれがある一つの型になってしまうのだろうか?などと自分のだらしなさを棚に上げてシレッと不思議そうな顔をして云いたくなる。いや、そんな型、聞いたことないですとの反論もあるだろうが、少なくとも自分における夏休みの田舎の過ごし方としてはこれが正当な作法ということにはなる。僕だって心苦しいのだが、これはこれで、仕方がない。


Sが帰ってきて、釣果をご馳走になる。そのとき炊き込みご飯も出してくれたのだけれども…もう昨日も今日も僕は、完全に食べ過ぎで、よくそんなにと思うくらい食べた、というか、茶碗のご飯を何度もお代わりするという行為が、一体何年ぶりなのかという状態である。お土産までいただいて、いよいよS実家を後にする。再度病院まで送ってもらって、僕一人で父の病室へ向かう。月曜日から主治医や社会福祉士との話をきちんと進めてほしい、必要なことは自分自身でしっかりと話してほしいと伝える、なんだか頼りない反応されて、あまり期待できないと思ったけれども、とりあえず自分の、今日出来ることはここまでだろうから、まあしょうがない。じゃあ帰るよと言って立ち去る。


近鉄名古屋行き特急で、16:30頃に名古屋着。新幹線の指定席を調べたらさすがにほぼ満席で、グリーン車がかろうじて空いてたので仕方なくそれを買う。N700系グリーン車にたぶんはじめて乗った。自宅に着いたのは19:00頃だったか。金曜日の夜間バスのおかげか、一泊三日の日々がやけに長かった。