診療


 一階から三階までエレベータに乗って一気に上がると、おそろしく広大なエントランスロビーが広がっている。まるで運動場か野球場並みの広さだ。窓際に、無数のソファーが並んでいる。おそらく三十以上ずらっと並んでいる。このような光景はあまり見た事が無い。あまりにも広すぎてロビーの役割を果たしていないような気がする。天井の照明も、規則的な間隔で蛍光灯が並んでいるのが、まるで合わせ鏡に映したかのような、果てしない無限さを思わせる反復具合で、ずっと向こうまで続いている。そもそも、この天井は何によって支えられているのか。これだけの広さをもつ室内というものがあるということ自体が驚きだ。ソファーの傍で、なかば呆然として佇んでいた。しばらくすると、名前を呼ばれた。診療室のドアが開いて、看護士の女性が僕を探している。僕はそれを、携帯電話のモニターで見ている。あたりを見渡しても、どこにそのドアがあるのか全然わからないし、携帯電話の画面に返事もできないので、僕は困った。看護士は診療室のドアを閉めて、荷物を脇のかごに入れるよう指示した。医師は若い小柄な女性で、顔を上げずに机上に書類を広げて、俯いた姿勢のまま何かを書き込んでいる。白衣を着た背中が猫背気味で、しかし長い髪やペンを持つ手には若い女性らしい張りと肌理細かい透明感がある。診療衣の前を開けて椅子に座れと言われた。しかし僕はまだそこにいないのだ。事前に提出していた問診表の内容からいくつか質問されたが、答えようも無い。するとそのとき、医師の女性ははじめて机上の書類から顔をあげて僕を見た。

 僕は女性をはじめて見るとき、かならずいちばん最後に、顔を見るようにしていた。最初はとりあえず、まず肩のあたりを見ることにしていた。

 医師は指で僕のまぶたを上に持ち上げると、上を見てくださいと言う。僕は上を見ようとした。冷たい外気がまぶたの裏に入ってきて、思わず目を瞑りたくなる。その後、今度は指で目の下を少し押し下げてられ、下を見て下さいと言う。やはり目の下に冷たい空気が直接触れるようで気持ちが悪い。背後に立ってそれを見ていた看護士の女性が、鋭い言い方で、衣類の前を開けて診療台の上で待てと言う。一瞬、その言葉が誰に向かって言われたのかわからなかったのだが、僕はのろのろと立ち上がって衣類の前ボタンを外した。相手は、僕を見ずにそこへ寝ろと言う。だから僕も相手を見ずに、はいわかりましたと言って、その言葉にしたがって、その場におとなしく寝そべった。

 しばらく待っていると、広大なロビーの遥か彼方から、かすかな動きの気配が伝わってきた。胸騒ぎのような予感をおぼえて、頭を持ち上げてそちらの方角を見ると、医師の女性がこちらめがけて、全力疾走で走ってくるのが見えた。でかいマスクをしているので顔はよくわからないが、二つの目が大きく見開かれていて、瞬きを忘れたのかというくらい血走っていた。その二つの目で、まともにこちらを見ていた。僕はそのときふと、もし将来重い病気に罹ったら、こんな若い女性の医師に治療してもらう事もあるのかもしれないと思った。