ロープウェイ


Nが僕のコートを着て、エレベーターホールを後にしようとしている。貸したおぼえはないのに、なぜ僕のコートを着ているのか。さっき、貸すって言ったっけ。周囲に人がいなくなった。仕方がないから上着無しで昼食に出ようと歩き出す。しばらく歩いて、いつもの道のさらにその先を行く。勾配を上る。茂みの向こうに、みた事のない建物が見える。さらに進む。木々の密生した中の細い道を行く。湯島から本郷にかけての一帯のはずだが、こんな場所にははじめて来た。やがて開けた場所に出た。広場のようになっていて、人もけっこういる。はじめて知った。駅である。ロープウェイだ。これに乗ると一気に下まで降りることが出来るのだ。上野界隈をうろついて、もう二十年近く経つのに、こんなものの存在を知らなかったとは驚きだ。とにかく乗る。切符を買う。プラットホームみたいなところに立つと、ロープウェイがやってくる。これに乗るのか?大き目の、おもちゃのゴムボートみたいなものだ。それに、みんなで相乗りするのだ。それはいいけど、何の掴まる手摺りも、棒も、柵も無い。単に座るだけだ。動き出したら、落ちないのだろうか。ほんとうに、大丈夫なのか。それでも人に紛れて乗り込む。ロープウェイが動き出した。ガラガラと滑車が回って、吊り下げられたボートが進む。その滑車が、ところどころで、支柱を越えるときに、上下の揺れが異様にものすごい。これがシャレにならないくらいの恐怖だ。ガンと揺れて、弾んで、乗車している全員が座っている場所から、軽くふわっと浮かび上がるほどの衝撃だ。しかも何の支えも柵もない、いわば畳の上にぎっしりと人が満載みたいな状態で、それがことあるごとに、落っこちそうになって、それこそもう、揺れるたびに、大変な騒ぎだ。絶叫となりふりかまわぬ必死さで、その場にしがみつこうとしてウゴメく人間の塊である。僕もきっと、このままこれでもう死ぬのだと思う。これは死んでしまうだろうなという一線を、さっきから何度も余裕で越えている。何もなくて、ただ必死なだけだ。ただ助かりたいだけだ。でもたぶんこれは無理かもと思っている。