ACO


昨日から今日は、ずっとACOの「LUCK」と「LIVE LUCK」をひたすら聴くモードへ突入した。きっかけは、シャッフルで聴いてたら突然「砂漠の夢」が再生されたから。…このうた。調べたらACO自身が作った曲なのか?これ最高だ。てっきり、古いフォークソングかなんかのカバーだと思い込んでいた。アルバム「LUCK」はACOの傑作だと思う。ACOと言えば、どうしても「absolute ego」という1999年リリースの巣晴らし過ぎるアルバムのせいで、いまだに自分の中にあれを求めてしまう心があったのだが、今回「LUCK」をじっくりと聴いて、いよいよそこから自分も抜け出したと今回あらためて思った。抜け出すのがいささか遅すぎたとは思うが…。


自分はうたの歌詞というのをあまりよく聴いてないタイプで、聴いてなくはないけど、完全には聴いてないというか、聴いて、全体的にどんな意味内容だったかについてほぼ記憶できないというか、全体として把握しようという意欲がとても薄い。これは自分でも驚くほどで「あの曲ではこういう内容を歌ってますけれども」みたいなインタビューの記事を読むと、すごいな、そんなことが、よくわかるな、と思ってしまう。あれに、内容とかあるのか?などと感じてしまう。まあ要するに状況判断とか全体把握の能力が欠けていて、目先のものに強く反応してしまって、全体とか見通しとか構造とか目標とか計画とかを見失いがちな人だから、与えられた対象から意味を取る力も弱いのだが、そもそも自分は歌を、フレーズみたいなものでしか聴いてないのだろうなあと思う。フレーズという言い方もあまり正確ではなくて、なんかもっと、抑揚的なもの。曲のうねりや上がり下がりともつれ合うようにして、声と意味が、波に洗われるように、消えたり見えたりしている状態というか、あるときふわっと前面に出てきた瞬間とか、ずーっと停滞が持続する流れとか、そういう現象的なものばかり聴いているのだと思う。それは英語詞だろうが日本語詞だろうが変わらなくて、だから自分は英語はほとんど意味を聴き取ることができないが、曲になってしまうと結局日本語だろうがも英語だろうが英語を聴き取る程度にしか意味を聴こうとしていないのだろう。曲とか歌とかは、意味の伝達手法としてよりも、感情的なもののもっともよくできた再現物だと思うし、人間のそのとき一瞬の心の揺れ方とか動き方のきわめてリアルな表現として、それを聴いてるのだと思う。というか、そういう風に聴いていられるときに、いちばん感動していることが多いので、そういう瞬間に一切の言語的な意味とかを認識する余地が心の中に無いのだろう。だから好きな曲を何度も何度も繰り返し聴いているとき、あれだけ何度もリピートしているにも関わらず、歌詞の意味についてほぼさっぱり認識してないという事態も珍しくない。


「LUCK」では全般的にダークで重厚な前半が進み行くにつれ「砂漠の夢」「Lonely Boy」「Control」あたりの連なる後半がとてつもなく素晴らしいのだが、「人生っていうやつは…」とか「私が私でいなくてはいけない…っていうのは・・」とか、それだけ聴いたらやや過剰で重い言葉が、全然そうじゃないものとして、ある誰かの過去の時間として、と言ったら良いのか、かつてたしかにあったリアルさというか、消えてしまったはずの時間が夢のようにリプライズしてくるというか、まあ、要するに、いい音楽っていうのはそういうもので、別に言わなくてもわかるでしょと言って済ませたいような感じなのだが、でもその曲において、どこかの誰かが何かを言ってるのはわかる、だからまったく無意味な音の連なりが楽しいとかそういうことではない、何かの動きというか、いつかどこか誰かの、かつて伝えようとした身振り的なものだけは感じている、ほんの一部だけは聴こえた、意味を為していたらしい形跡だけは確認できた、でもそのくらいの感度でしか感じてないのだ。それ以上はわからないしわかっても無駄で、ただ呆然と様子全体を見送っている、出航して水平線に向けて小さくなっていく船をいつまでも見ているだけみたいな状態なのだ。


それにしても今更ながら、ああ、この歌手いいなあ、と思う。このACOという人に限っては「女というものは」とか「人生って」とか「私は弱いから」とか、そういう言い方をする、そういうあり方を全肯定する勢いになって聴けてしまう。もちろんその考え方に(考え方?そういうのがあったとして)共感するとかそういう意味とは違う。人として、あるいは言葉として、意味や考え方とかがどうなのかなんて全く知らないし興味もないが、それが音楽としてあらわれてくるときに、凄まじい力で聴こえてくるから、どうしても耳を傾けずにはいられない。すごく断片的で、か細くて、不安定で、荒っぽくて、儚くて、脆いのだが、それがそのまま強い、という事態がありうる、そういうときに、ああ、歌だなあ、こういうのが歌だし、こういう人こそが、歌手だなと思う。戦慄的な瞬間を何度も通り抜けながら、曲に身を晒しながら、でも人はなぜ歌手になるのか、そもそも歌とは何なのか、なんで、こんなことになったのだろうか、などととりとめなく、考えても無駄みたいなことばかりを、ずっと考えてしまう。