位牌


しかし、まさかこの僕が、ネットで位牌の写真をひたすら見較べながら、どれにしようかしらと悩む日が来るなんて、まったく想像もしていなかった。そして、なんとなくやはり、割り切れぬというか煮えきらぬ思いになるのは、この手の仏具というものたち、結局は仏教、というか寺とその周辺に生息する業界がかたちづくる世界で、その枠内での品質であり値段であり美的洗練であり、そういうものに、今更自分が首を突っ込んでいることへの屈託である。位牌とか仏壇とか、まさかそんなものと自分が接点をもつような事態が来るだなんて。そもそも父と母は共に実家から出て埼玉を生活拠点としたので、僕は子供の頃から家に仏壇がなくて、友人の家で仏壇がある家は多かったけれども、それが家の古さと新しさをあらわしているような気が、なんとなくしたものだ。彼らの家はたぶん古くて暗い何かを元にあらわれていて、自分の家はたぶんそういう「暗味」のようなものから、なぜか切れてしまっている、父と母と自分だけがいる、単なる家であるという、子供なりのボヤっとした認識をもっていたように思う。で、それから数十年の月日が流れ…何がどうなるか、わからないものだ。もっとも、仏壇なんて買う気ないけど。でも位牌は、結局きわめてオーソドックスなやつを選ぶことになりそう。モダン位牌とかいう、今風というかシンプルというかミニマル的デザインな位牌もあるのだが、そのなんともイマイチな外観とそのワリにやたらと高価なことに失望したし、どうせなら本漆のオリジナルの作家モノで、などと気合を入れるほどの気持ちも甲斐性もないので。