一周忌

東京駅8:00発ののぞみで名古屋へ。座席がD・Eだったので、小田原を過ぎたあたりで、窓から目線の少し上に浮かび上がる真っ白な富士山がきれいだった。10:10発近鉄特急、鵜方着は12:17で、駅前に降り立つとバスもタクシーも全く停車してなくて砂漠の無人駅みたいにガランとしている。こりゃどうしたことだと思ってしばらく佇んでいると、やがて一台のタクシーがのろのろとやってきたので乗り込んで行き先を告げた。

長らく本家の仏壇にあった、祖父と祖母の名が連なった位牌を受け取る。七十年以上の時間を経たその位牌が、予想よりもはるかに巨大だったので驚く。昔ならこのサイズで普通だったのか、去年僕が買った父の位牌の優に三倍以上の高さがあって、この二つを並べて法要するのもどうかと思ったが、まあしょうがない。

位牌の裏に刻まれた文字によれば祖父は昭和十九年、二十五歳でビルマにて戦死。祖母は昭和十七年、二十二歳で死去とある。父は平成三十年、七十八歳で死去となるが、父の位牌は行年なので実際は享年七十六。祖父母の位牌も行年だろうが、今更ながらその二人を祖父母と呼ぶことがためらわれるような短い人生である。いったい僕が、彼らに「感情移入」できるだろうか、というか彼らの生きて感じた自らの物語を、僕が想像することが可能だろうか。あるいは、僕がもし僕の父だとして、祖父母が、僕の父母だったら、あるいはそんなケースを想像することが可能だろうか。もしそれができるなら、それが父の物語を僕が想像したということになるだろうか。それは、ある種の継承と考えても良いのだろうか、かつそれは、今後、僕がいなくなった後で、誰とも知らぬ誰かに継承されうるものだろうか。

寺にて一周忌法要と続けて永代供養法要、濃厚な線香の煙につつまれながら冊子をひらき摩訶般若波羅蜜多心経の字面を上の空で眺めながら、並ぶ二つの位牌をぼんやりと見つめていた。

墓へ移動して永代供養墓へ納骨。風が冷たく耐え難いほど厳しい寒さだが、あえてコートも着ずに墓前に立った。とくに意味はなくて、単なる痩せ我慢というだけ。お経を唱える住職の袈裟が風に煽られてバタバタと音を立ててなびいている。あの格好なら僕よりもはるかに寒いはずだがそんな風にはまったく見えない。僕もひたすら寒さを受け止めていた。これで風邪引いたりしたら、単なる脆弱ということだろうな、などと思いながら。

約一年、我が自宅にあった父の骨がこれでようやく墓の下へ。住み慣れた土地の場所に戻って来れて、喜んでいるのかそうでもないのか、目を上げると墓石の連なる先には木々の茂みが揺れ、さらにその向こうに海が光っている。風は相変わらず強烈で、とんびが凧のように空に揺れているばかりだ。

夜から親戚の数人を交えて会食、相応に賑わうひとときが過ぎて、無事散会。すべて滞りなく終わった、とりあえず肩の荷が下りた思い。