波切へ


朝8:00頃のの名古屋駅。鵜方行きの切符を買った。賢島行きの特急が発車するまであと一時間あるので、地下で朝食のお弁当というかお惣菜を物色する。素晴らしいことに早朝から酒類も豊富に販売しておりスパークリングワインの小瓶を併せて買う。手で栓を抜くことができる点で泡はいい。近鉄特急で鵜方着が11:00頃の予定。電車が走り出してすぐに買ったものを開けて朝食をはじめる。ハンカチで抑えてなるべく景気の良い音がしないようにゆっくり慎重にコルク栓を抜いた。あまり食欲はないみたいで、容器に入ったものの半分くらいまで食べて一旦しまう。あとは少しうとうとしたり、とくに何もせず窓の外を見たりしていた。


鵜方駅に着いて、バスが26分発のはずだが、どの停留所にどのバスが来るのかさっぱりわからず、うろうろしているうちに定刻を過ぎてしまった。まずい、約束の時間が迫っている。憤然としてタクシー乗り場まで歩く。乗って運転手にあのバス乗り場はぜんぜんわからないですねと愚痴を言ったら、はあ、そうでしたかあ、さっき走っとったあのバスですわなあ、お客さんどこからですか、はあ東京ですか、それはご苦労さんですなあ、自分は数年前まで仕事しとったんですが、もう七十で、そろそろ引退せななあと思とるんですけど、孫がまだ小学四年やもんで、まだ小遣いやったりね、そんなこともしてやりとうてね、こうして週に二回くらいタクシーやっとると、それで月に八万とかそのくらいの稼ぎにはなりますでなあ、とか何とか、まるでこっちの話を聞いてくれず自分語りに終始するので、こちらも仕方がないので、はあはあ、なるほどそうですかあ、そりゃけっこうですなあモードで聞き役に徹する。しかしこの爺さん、話聞いてると、僕より何十倍も金持ちというか経済的安定感盤石なのでうらやましいというか、裕福な老人から強盗するとか、自分のそんな人生もありうるだろうか、などと少し考えたりもする。


父自宅に着いたら、見慣れぬ靴が置かれていて、すでにケアマネの女性が父と向かい合って話を始めていた。挨拶して色々と説明や諸手続きなどをする。何度かメールでやりとりした感じと、こうして直に対面して話す感じがほとんどズレてない、非常に人当たりの良い、感情的な部分が高度に制御された、他者と接することの経験が豊富なベテランという感じを与える人で、なるほどこういう仕事の人のもつプロっぽさだなあと思い、こういう人柄というか外的印象だけで、かなり安心というかお任せできる気持ちになれるものだと思う。形式的な各種説明とサインと捺印が大量にあって、このあとの予定も聞いて、わかりましたどうかよろしくお願いしますとこちらは頭を下げるだけ。あとは父親本人がその気になるかどうかだが、とりあえず支援の利用は前向きな様子であったので良かったといえば良かった。


ケアマネの女性が帰って、その時点で時刻は一時過ぎで、二時半に鵜方発なら5時半の名古屋発バスには間に合う計算である。ほなら、しまやに寿司でも食いに行こかと父が言うので二人で出掛けた。こうして外を二人で歩くのも五年ぶりか。杖をついてかなりゆっくりと慎重な歩き方の父親の後を無言で歩いた。天気は快晴で風が少しあった。ゆるくカーブした下り坂を降りきると、波切の海が見え、緑の盛り上がった小山の向こう側に白い灯台が立っていた。海、海、海だ海だ、と思って、そっちの方を見て、何枚か写真を撮ったりしながら歩いた。父は歩くのに忙しくこちらの様子は気にもとめてなかった。


たいした距離でもない道を三十分近くかけて店に到着する。あらいらっしゃい、まあ先生久しぶりやないの、おお、ちょっと寿司をな、四、五貫握ってくれるか。先生今日アジあるよ、アジ行こか、おお、アジはええな、アジと、ほかにも少し握ってくれるか。亮太お前ビール飲むんやったら飲まんか。ここではさすがに酒は遠慮した。父は酒をやめたというのを僕はほぼ信じていなかったのだが、ほんとうにもう飲まなくなって一年か二年くらい経つらしい。さすがにケアマネに嘘はつかないだろうから本当のことなのだろう。それにしても父はこの町では相変わらず先生か。なにが先生なのかさっぱりわからないが。


田舎の漁師町の寿司は、美味いかと言ったら、まあ、美味いが、なんというか、そんな美味いとか不味いとかいうような感じとは違うというか、そういうことではなくて、まずシャリが異様に多い。そして、ワサビが狂ったような量入ってる。このワサビ量には驚愕した。冗談かと思うくらいの量だ。そして食べるたびに、大なり小なりな苦しみに耐えなければいけない。しかし美味しかった。寿司が美味いというか、ああこの町のメシだな、と実感する味わいだ。そう感じる要因はおそらく醤油の味である。この黒々とした、大げさに言えば黒と茶色を混ぜた絵の具のような、透明感ゼロの強烈なたまり醤油、しかし味わいに見た目から想像されるような塩辛さはほとんどなくむしろ甘味とコクが立つような、この地域独特の醤油だ。これで魚を食うのが、まさに今がこの場所であることをふつふつと実感させるのだ。最初四貫ずつ食べて、父がもう四貫ずつ追加した。いつもそんなに食べるのかと聞いたら、このくらいは普通に食うわとのこと。僕はかなり限界に近い。普通の寿司よりやや大振りなのだ。


帰り道は上り坂。さっきよりも風が冷たくなった。この体感気温は、僕は良いけど父の今の薄着だとまずいかもしれない。早く家に帰った方がいいかもしれないと思ったが、父の歩行スピードに付き合うしかない。こんなに長く歩いたのも久しぶりだとのことで、はあしんどい、はあちょっと休もかと言って、途中何度か、ベンチや道の側溝の出っ張りに腰かけたりしながら、休み休み歩いた。かなり息が上がるようで、汗が出てきそうやわとか、普通なら十分かそこらの道であるが、ずいぶん弱ったものだと思う。よくもまあ、これまで今まで、一人で生活してきたものである。僕はなおも黙って後を付いて歩いているだけだったが、時間が遅くなるのを心配してくれてるのか、単にうっとうしがっているのか、自分のペースに合わせていられるのが嫌なのか、道の途中で、ここまでで良いからお前はもうバス停の方へ行けと言う。さすがにそこから一人にはさせられないのでもうすこし家の近くまで行くと言って、なおもしばらく歩いた。家が見えてきたところで、ここでいいわ、もうお前行けと再び言われて、ここまで来ればまあ大丈夫だろうと思って、じゃあ行くわと言って、くるりとUターンして僕だけ来た道をまた逆に歩き始めた。振り返るとまだ父はその場に立っていて、軽く手を振っていた。またしばらく歩いて、その道はわりと長く一直線なので、また振り返ると、やはり父はまだそこにいた。僕も目が悪くなってきたので、もう表情とかは見えない。やっぱりこういうときは姿が見えなくなるまで、ああして見ているものかなと思いながら、なんとなく数メートル先の角までかすかに急ぐような気持ちで歩いた。


ちなみに寿司屋の途中で気づいていたのだが、思いのほか時間の掛かる散歩と食事だったので、名古屋から予約してあったバスにはどう頑張っても間に合わないことがその時点で判明していた。そもそも、東京の感覚で時間計算してもだめだ。名古屋着の特急が、駅に着いた時点ですぐ発車するわけなくて、下手したら一時間とか待つのだから、そのつもりで考えておかなければいけないのだ。まあ仕方がない。バスはその場でキャンセルして50%支払い。元が安いので大した金額ではないところはまだ助かる。流れに身をまかせて帰りましょう、となって鵜方駅を出たのが結局15:30頃だったか。缶ビールをあけて飲んだが、あまり美味いと思わなかった。朝食べた弁当の残りを出してきて、今日はもう絶対に食べ過ぎだ。異常摂取に近い量だと思ったが、思いのほかペロリと残りを完食してしまった。そしてまたウトウトと居眠りした。疲れているとも眠いとも思わなかったが、元気もなかったし、何かしようという意欲もあまりなかった。名古屋までの二時間がやけに長く感じた。


金曜日の18:00前、東京方面の新幹線はけっこう混んでいた。何本か見送った後の指定席のわずかな空きを購入した。満席に近い車内の三列シートの真ん中に座った。となりに座った窓際の若い女の子は最初から最後までずーっとノートpcをたたいて猛烈に仕事していたので、何となく憚られたので飲酒もせずじっとしていた。というか、本を読んだりウトウトしたり、音楽も聴く気にならなくて、東京に着くのをそのままでじっと待ってるような感じだった。東京着。帰宅した。父から電話。やっぱり今日来たあのIさんいう人な、あの人に色々世話になろうと思うわ。その方がええやろ、とか何とか、こっちが前から再三言ってることを、さも自分が最初からそう考えていたかのように話すのが如何にも父らしい。


長い金曜日が終わった。