ピアノ


フィニアス・ニューボーンjrのStella by Starlightを聴く。とんでもなく饒舌で多弁なピアノ、豪華絢爛なソロパートを経てテーマ部へと至る、曲間も最後も、ひたすら弾きまくり、指が動きまくる、すべての音に細かい装飾がびっしりとくっついている感じ。まさに超絶技巧というか、神業のようなテクニックということだろうけれども、ここまで来るともはや、人の技巧の凄さが云々という事ではなくて、モノの空しさというか、響きの向こう側の空虚さのような不思議な空間が開けてくるかのようにさえ感じる。たとえばjeff beckのギタープレイからも感じるような、呆然とさせられるような感覚、楽器という物質そのものが震えて放出しているモノの音、空気の波、それを人間の表現とか意味の内包物としてではなくそのまま受け止めているような状態というか、何しろとんでもなく凄い運指ではあるのだが、一瞬だけ何となく、その駆け下りていくときのリズムがかすかにモタモタっとしたように感じられる瞬間があって、そういうときになぜか、ものすごい空しさというか、人間の努力の浅ましさというか、深く染み通った退廃の感じが、漂うように思う。いや要するに、ある種の得体の知れぬ凄みが効いてる、ということだ。


続けてハンプトン・ホーズのアルバムの50年代後半から70年代にかけて、数曲ずつ適当に選びながら聴き進めていき、かなり時代の音に対して敏感だったというか、スタイルを変えて行こうとするタイプだったのかなと思う。ことに後期は選曲からして当時のモードっぽい曲を多く取り上げているようでもあったし、しかしその変遷はともかくLive at the Montmartreなど聴くと、こちらもなんとも言いようの無い不思議な倦怠感があるというか、すごくざらついた荒っぽい雰囲気で、それは単に録音状態から受けた印象をそう取り違えているだけなのかもしれないが、やはりある種の荒廃した不吉さのようなものを感じてしまった。一つのことをずっとやり続けた結果としての荒んだ感じ、潤いを無くして麻痺してしまったような、疲れてしまって、ゆっくりと流れているだけのような感じがした。