GREAT HOLIDAY


新木場のSTUDIO COASTでTABOO LABEL PRESENTS GREAT HOLIDAY、開演15:00で、計8組が出演して、終演は予定より一時間強オーバーの22:15。スタンディングの会場なのでずっと立ちっぱなしで、最後はへろへろの疲労困憊状態だったが、やはり音楽の力は偉大というか足腰背中の痛みも凌駕して楽しんでしまえるというか、ああやっぱり、こういうやかましい音楽をひたすらずーっと聴いているのが一番幸せだなあとしみじみ感じさせるような時間でもあった。菊地成孔の仕事の中心と言って良いであろう二つのバンド、すなわちペペ・トルメント・アスカラーレおよびDC/PRGのライブを今日僕は初体験することになり、結果的に見たバンドの中でその二つがもっとも印象深かったわけだが、それにしてもこんな大所帯のバンドをずっとやり続ける、しかも二つも…ということだけで、とてつもないというか、ありえないような話だなと思う。菊地成孔の音楽家/バンマスとしての強靭さ、何かを続けていく人間の凄さだよな…と思う。ちなみに他の出演者はオーニソロジー市川愛ものんくるスパンクハッピー、けもの、ジャズドミュニスターズ。


上モノにバンドネオンとか弦楽を配置してある種のムードを醸成できるようになってるのがペペ・トルメントで、たぶんあえてやかましい昔風なシンセ音やギター音で特有の時代感というか空気感に振ってるのがDC/PRGという印象だが、どちらもすごく構造的というか骨格的というか、細かい部品を積み重ねることで静と動、小と多のダイナミズムを畳み掛けていき楽曲があらわれていく感じはどちらのバンドも似ているところはある。ペペ・トルメントは思わせぶりな雰囲気たっぷりでそれも良いのだが思った以上に元気の良いきびきびとしたメリハリの効いた感じもあって最初からぐいぐいと聴いてる人々を煽る感じだった。ごく単純にこんな演奏聴いてるの贅沢きわまりないなと思った。ペペ・トルメント正直聴かず嫌いだったのだが見直した。(というか、ペペ・トルメントもDC/PRGも、CDで聴いてるだけだと魅力の半分も感じることができない、みたいなところは、たぶん僕の聴く能力の問題ではあるだろうが、それはあると思う…。ライブだとこんなに凄いのだと今更知る。ただし一旦それを知ると、それ以降にあらためてCDで聴いたとき今までとはまったく違って聴こえるというか、今まで聴くことができなかった部分を細かく聴き取れるようになっているというのはある。だからライブ体験は大事。)


DC/PRGは全体のトリだったが、全メンバーがステージに登場した段階でカッコよすぎた。なんだこのバラバラ感はと思った。そして、今日登場した全バンド中、もっとも肉体的で快楽追求型のサウンドをこのバンドはこれでもかとばかりに展開した。想像していたよりもずっと良かった。終盤に来て身体的には疲労が極点に達してたが、最後がDC/PRGで良かった。あれじゃなければ終わりまで立ってられなかったかもしれない。どこまでもすれ違いはぐれ続けるベースライン、テンポとテンポのまったく無関係な並列進行が延々と続く中、各メンバーが極端にテンション高いソロで楽曲を鼓舞し、全員でがーっとユニゾンしてテーマを謳う。曲の中核は今耳に聴こえてくるものの向こう側にあるというか、音楽を聴いて高揚した心を投げ出して捧げたくなる先が、リズムの奔流の、直に聴こえてきてない部分から快楽が分泌されているところに対して皆が模索しつつ、いや皆が勝手に思い思いに好きにしていて、そもそもプレイヤーたちもそのようにソロフレーズを駆け抜けていくのだからそれで良いのだと皆が気付き始めてしまって、場内騒然となって盛り上がりがどこまでも続くような、こうなると、もはや、どれだけリズムに一般的な意味での整合感がなくても、むしろポリリズムが嵩じきってしまえばしまうほど悦ばしいという境地に全員が行き着いてしまう。


それにしても凄い演奏技術だ。というか、ステージに出てくる人がおおむね皆異常にテクニシャンばかりなので、どれがどのくらい高い演奏技術なのかほぼわからなくなってくる。でも、こういうのがジャズだよねという感じはする。上手さというのは、敷かれたレールの上や規則の上をどのくらい軽やかに駆け抜けてどのくらいその規則やレールに対して違和を起こさせるかという事でもあり、それがジャズの面白さの一側面でもあると思うが、その意味でもベテランなバンドの醸し出すことができるパワーというのは、あるよなあと思う。


余談だがペペ・トルメントもDC/PRGもけっこうKing Crimsonを思い出させた。ペペは「killing time」で大きくヴァイオリンソロがフィーチャーされ、まるでDavid Crossのソロを聴くかのようだった(太陽と戦慄!)。ペペが70年代クリムゾンなら、DC/PRGは90年代のVrooom〜THRAK期のクリムゾンに近い感じがした。そりゃダブルドラムだからでしょ?という単純な話かもしれないが、出てくる音も、音と音の落差が醸し出すものも似ているとは思った。ただしKing Crimsonの目指してるものとペペ・トルメントもDC/PRGのそれとはやはり違うが。


これも余談だが90年代初頭、はじめてSteve Colemanの「drop kick」を聴いたとき、一曲目「Ramsis」のテーマ部には衝撃を受けたものだ。もちろん最初はリズムの狂ったような強靭さに襲われるのだが「Ramsis」のテーマ部は僕にはその上で鳴るほとんどサイレンとか警報のようなものに聴こえた。よく考えれば、こういう無愛想で無機質なやり方は往年のマイルスの得意技だったとも思うが、当時はこの「Ramsis」という曲の…目的以外をすべて削ぎ落としたような異様さというか冷酷さというか、その状態でどこまでも続けてしまう、そういった雰囲気には強く惹かれたものだ。しかも、曲間を空けずに2曲目の「Drop Kick」だし。この流れはおそらく今聴いても息を呑む。Steve Colemanというミュージシャンはまずプレイヤーとしての技量が半端じゃなくて、素人(僕はサックスとかピアノの技術的巧拙を判断できない素人)でもはっきりと「すげえ」と感じさせるほどで、ある意味「味わい」とか「感情」とかはすごく希薄で、ほとんどマシーンのように難解なフレーズを高速で駆け抜けていくようなイメージとしてあって、あの感じが自分はとても好きだった。


…とか、そういうことも思い出させてくれた。