タイム・リメンバード

アップリンク吉祥寺で「ビル・エヴァンス タイム・リメンバード」を観る。関係者のインタビューや当時の映像などで構成されたドキュメンタリー作品。さほど面白いわけでもないだろうと予想していて、大体そのとおりだったけど、それでも幾つかの点は驚きと気付きを得られたので良かった。2ndアルバム「Everybody Digs Bill Evans」収録の"Peace Piece"は、ビル・エヴァンスのその後の仕事を思うと、かなり重要な曲なのだなと。もしかして"Blue in Green"など、マイルス・デイビス"Kind Of Blue"という作品の基調を決定するあの雰囲気の元になったものは、その原型としては"Peace Piece"ということになるのかと思った。というよりも"Kind Of Blue"というアルバムは僕が思っていた以上に、かなりビル・エヴァンス濃度が高い世界になっていて、それはつまりプレイヤーとしてのビル・エヴァンスの貢献度の問題というよりも、マイルス・デイビスがビル・エヴァンスという音楽家に強く影響を受けた上での、その成果が"Kind Of Blue"なのではないかと想像した。アドリブというよりほぼコード弾きで、メロディの輪郭をあえて際立たせないような、自己顕示の要素を極端に少なくしたようなスタイルのビル・エヴァンスはある意味いつも相変わらずだが、それを聴いたマイルスの方が変わった。まったく根拠や裏付けもない話だが、"So What"にしても"Blue in Green"にしても、ビル・エヴァンスという音楽家の個性なくしてあの感じはありえなかったのではないかと。もっと言えば"Kind Of Blue"以降のマイルス・デイビスの少なくとも60年代半ばまでの音楽的スタイルに決定的な影響を与えたのがビル・エヴァンスだったのではないかと…。(そもそもあの、俯いてトランペットを真下に向けるあの恰好が、もしかしてビル・エヴァンスの俯いてピアノを弾く恰好の影響ではないか…とか、さすがにそれは無いか・・・。)("Blue in Green"のクレジットがマイルスになってる問題はひとまず置くとして"Kind Of Blue"収録の同曲を聴く限りこの曲の完成に貢献したのは両者どちらなのか、それはどちらとも言いがたい気はする。マイルス無しではこの曲はけしてこうはならなかった。しかし曲自体のアイデアエヴァンスに間違いないだろうと思われる。)その後、60年代以降の新主流派がもつ雰囲気なんかも含めて、何もかもがビル・エヴァンスの蒔いた種なのではないかという気すらしてくるし、実際にそうなのかもしれない。しかしビル・エヴァンス本人といえば、おそらくそういうことに自覚的だったのかどうかはよくわからないというか、伝聞的な情報を追う限りではただひたすら身勝手さと近隣の不幸の枠内に留まりつつ、薬物と不摂生の果てに身を滅ぼそうとしていただけのようにも思える。なんか面白い、といったら酷いけれども、ほとんど面白いほど理解不能という感がある。