雨降り。どうせ今日は一日このままだからと早めにと図書館へ向かう。返したものを再度借りて帰宅。帰宅後も雨は降り続く。予約を入れていたので夕方、再度外出。雨は相変わらず。髪を切って、店を出たら、やや小降りになっていたが、それでもまだ降り続く。昨夜もそうだったのだけど、雨に心持のダメージを喰らう。いやだね、歳のせいかしらと思わなくもない。金曜夜は、世間一般の賃労働者同様、僕もほのかな解放感を胸に帰路に着くので、さてどこへ寄り道しようか、あるいはどんな食材を買って帰ろうかと、いつも小さくわくわくと期待しつつ、最寄り駅へ向かうのだ。それが、あの雨ではまさに、文字通り水を差すの言葉通り、つくづく呆れて嫌になってうんざりで、駅にくっついてるスーパーの品揃えがぼろぼろで、むかいのスーパーも相変わらずめぼしいものゼロで、ちょっと歩いた先にある二軒の店ならと思うにも、この雨の中そこまで移動する気にはとてもなれない。かくして、あるものでいいや、適当に済まそう、とっとと帰ろうとの、最悪な判断に甘んじる金曜夜となる。昔なら決して、そんなことなかったのに。

妻と話していて、雨の中出かけるの面倒だと思ったら、たとえば家にタクシー呼んでそこから直接、車で図書館に行ったら、たぶん片道二千円かそれ以下だと思う、たぶんだけど。。でもタクシーなんて、ほぼ深夜料金の割り増し時間しか利用したことがないので、ごくたまに日中乗ると料金にすごく違和感があるのだが、でも仮にそうしたとしても、家を出てからタクシーに乗るまでは自分の身体で移動しなければいけないし、そのときに雨に濡れるから傘がいるし、図書館に着いてタクシー降りるときもどうせ傘を挿すことになるんだから、そうなの、車って、乗るときと降りるときが、一番不快なの。屈んだ姿勢で、ずるずると尻をずらしてドア脇までずれて、雨の滴を感じながら、傘を挿して、半分雨にあたりながら外に立つ。あれってもっと、快適にならないのかね?なんで誰もが、腰を低くして、背をかがめて、あの恰好で狭い箱の中に潜り込む姿勢を取らなきゃいけないのか。あれなら結局、最初から最後まで歩いたほうがマシではないか。雨の外出の面倒さはどうであれ一緒ではないかという結論に落ち着く。雨の日に完璧な快適さを求めるなら、それこそアラブお姫様みたいに、家来四人がテントみたいな傘を四方から支えて一緒に歩いてもらうみたいな、それで家から図書館までひたすら下は絨毯、上は布の天蓋で雨を完全遮断してくれてる状態で、集団で移動するみたいなことじゃないとダメだろう。そういうサービスって、ないんですかね?あったらやってみたい。でも家来役がバイトだったりしたら最悪だ。家来役は、認識としては本当に家来じゃないと、このサービスは成り立たない。自分が、人間の権利を失した存在であることをきちんと把握してくれてないとダメ。勤労感謝的なものを決して認めない、そういう理念をもった組織じゃないとできない事業だ。

金木犀のオレンジ色がぜんぶ落ちて地面に散らばっていた。まもなく暗くて寒い日々が来る。