前奏

買い物の帰りに、中学校校舎の脇を通り過ぎるとき、吹奏楽の練習している音が上の方から久しぶりに聴こえてきた。いつものことながら、各々が勝手に練習しているときの管楽器の音たちの、はっきりした旋律はとらぬまま、波のうねりのように聴こえては消えていく音の連なりを、なぜとても良いものに感じるのか。しっかりと合奏された一曲よりも、こんなふうに始まりも終わりもなく響き続ける、名付けようもない音たちの方が、よほど心地よい音楽ではないかとさえ思われる。自分らがその場から遠ざかることで消えてしまうところもいい。

校庭ではサッカーの試合をやっている。大学生かもしかすると社会人かもしれない。きちんとユニフォームを着た選手たち、審判やラインズマンもいて、けっこう本格的な試合の体裁でやっているらしい。互いに掛け声など掛け合って、誰もが本気で、笑いや雰囲気読みの空気無し、完全に真剣モードで頑張ってるようだ。大の大人が集団で本気になって球技してるのを、久々に見たと思った。目的に向けてまっしぐらな男の声のでかさ、図体のでかさ、駆けずり回る足音の騒々しさ、吼え声やあえぎ声…ものすごくめまぐるしくて埃っぽくて乱暴。あれが、男たちだけの世界の快適さを支える支持体であろう。男にかぎらずこの世にあるすべての組織というものの騒々しさ、埃っぽい猥雑さというものは、ひとりの傍観者から見たときに、大体共通するものだろう。どのような編成であっても、何がしかの目的をもって集まった時点で、吹奏楽の練習音のような優雅さには、なかなか行き着けないものだろう(試合前の練習時間までなら、まだ吹奏楽の音楽室の雰囲気もありうるだろう)。