思い込み

いつもより少しだけ「現実」を感知すると、心身はそれに耐えられなくなり、途端に不調をきたす。おそらくは、そのはずだ。いつも心のどこかで惹かれている何か、ほぼ起伏のない穏やかで始まりも終わりもないようなあの感じ、なつかしくもあり、おそろしくもあるようなあの場所に、仮に少しでも身を晒したら、今の自分なら耐えられずに死んでしまう気もする。だから自分は現在の自分に対して、あきらめというか納得の思いは持っている。

そういえば、2007年の冬から春にかけて、何の前触れもなくとつぜん動悸が早くなり手足の感覚がなくなり、やがて視界が真っ白になっていく変調がしばしば起こり、一度は外出先から救急車を呼ぶ事態になったこともあった。あれはもう、14年も前のことなのか。

病院で診察を受け心電図も取ったけど原因不明で、仕方なくそのまま様子見していたら、やがて症状は起こらなくなって、そのまま今に至るのだが、ちょうどその時期に勤め先の会社の社長が亡くなって、なぜか自分はそのことを、自分に結び付けて考えたくなったのだった。というか、いきなり直観した。「そうか、あれはこの世から旅立とうとする社長が、僕のことを呼んだのだな」と、突如として「謎の納得」に行きついてしまった。

それはもちろん無根拠で脈絡のない思い込みであるが、何しろそれ以降の自分は、そのように納得してから、それ以降ふつうに生活しているし、少なくとも自分の中では、自分はその「思い込み」を「ほんとうのこと」だと今でも思えている。

毎日の生活、通勤だの会社の業務だの業績だのも、おそらくは「ほんとうのこと」だと思えているに過ぎない。でもそれはバカにしたものでもなくて、それがあるから日々正気を保っていられる側面は確実にある。