ビールをグラスに注いで、泡の立ち昇った白い雲が、やがてゆっくりと落ち着いて沈み行くのを見ていると、かつての自分の子供時代の、父親とかその知人らとか親類とか、昔のおじさんたちの。華やかで騒がしい酒宴の席を思い浮かべてしまう。

かつてその時代の父親たちが酌み交わしていたビールを、子供時代の僕も飲んだというわけではないけれども、しかし、おそらく飲んでいたのだと思う。そのときのビールの味わいの記憶がいまだに残っている気がする。ただ、ほんとうにその記憶が、当時のビールの味なのかどうか、それが心許ないのだが、ただビールという飲料の、個人的原初的な記憶として、今も記憶に残存している。それは確かだ。

大学生のときの味わいも、三十代を過ぎてからの味わいも、ビールと言ってもそれぞれ違うはずだが、そのスタート地点として、自分は子供の頃すでに、大人たちのグラスをかすめて、その液体を口にしていたはずだ。

子どもの自分に、はじめてビールが突きつけてきた味というものがあった。あのするどい苦みを、もう二度と感じ取ることはできないのだろうか。それは今のビールの味わいにおいて難しいのか、そもそも過去の体験の再来を期待するのが無謀なのか、どちらであるだろうか。