流人島にて

武田泰淳「流人島にて 」が面白かった。A丸、H島、Q島、とか伏字が満載で、それだけである種の感じというか、この作品が発表された当時(1953年)の感じ…というのは、読み進むうちにわかってくる。今読むと、ほとんど二十世紀エンタメ活劇の面白さという感じだが、それはすべて読み終わった後にそう思えるところもあるというだけで、物語前半はまさかそんな話だとは予想もしなかった。海、岩場、森、空、雲、雨…夏の島のぎっしりと濃密で冴えわたった描写が、Q島と呼ばれる島の感触を濃厚に伝えてくる。的確で最適なスピードで感情をいたずらに高めも低めもしない書き方で、目の前に世界がひらけていく。このような濃密な描写をもっている作品なのに、こんな話なのか…と驚いた。

まずQ島というのが、昔の「感化院」上がりの少年たちが「流人」として移送されてきて、その島で「雇人」として働かされている場所だということ。「流人」たちは、この島から絶対に他所へは出ていけないということ。「流人」はつまりほとんど奴隷状態でその島に拘束されているということになる。

主人公の弟は、この島の小学校長黒木の長女と結婚し、Q島の小学校に赴任しているらしい。その縁で主人公と黒木夫妻と13歳の娘歌子は親密な間柄だ。Q島は主に漁業を営む現地人と「流人」で構成されていて、黒木家のように他所からやってきた人はめずらしい。U村の村長はどうも村の金を使い込んで失踪中らしく、今後の村の政治をめぐる人々の動きも色々あるようだ。

そして本人だけの秘密だが、主人公もかつては「流人」だったのだ。「雇人」として仕えたある男に、15歳のときに「殺された」のである。この村の自治は前時代的なものでしかなく、警察捜査もおざなりで、そもそも「雇人」ひとりが消えたところで、村の人々が関心をもつこともないのだ。

主人公は激しく投打され海に投げ込まれ、瀕死の状態で海を漂っていたところを、奇跡的に通りがかった漁船によって救助された。こうして彼は結果的に「流人」としてQ島からの脱出に成功する。その彼がふたたび、かつての男に会いに来たというわけだ。

この主人公はつまり感化院出身だし、今はカタギの商売をしているらしいのだが、どういう人物なのかは明確にわからない。単なる昔日の恨みをはらすために、わざわざここにやって来たのかどうなのか?…というところだが、それで前述した、この小説が持つ伏字だらけのお作法みたいなものが効いてくる。

ネタバレだが、主人公が会いに来たその男は、かつてスパイだった。無政府主義組織に対して警視庁が送り込んだスパイで、そのスパイ活動のおかげで総検挙が成功しその後の残党も炙り出されては始末された。組織全体を根絶やしにした伝説のスパイその人だったのだ。主人公はその男に、無政府主義の老人が秘蔵していた彼の指紋写真を見せ脅迫する。それはおそらく自身の恨みをはらす行為というよりも、彼によって葬られた幾多の無念をはらすための代理人としての仕事であろう、主人公は彼の親指切断を要求し、男は最終的にその要求をのむ。このクライマックスの、やり取りに過度な重みがないテンポの良さが、かえって主人公の「只者でなさ」が浮かび上がってくるようだ。

終盤も、一仕事終えた一人の男の寄る辺なき背中…的な、などと言うとバカみたいだけど、そういうムードがいい感じ。そういうムードは、今やただの様式美だろうけど、1953年では全然違ったはず。何もかも生々しかったし、ほんとうにうんざりするような、重く圧し掛かる痛みや重みだったはずだろう。