ドライブ・マイ・カー(小説)

村上春樹「女のいない男たち」収録の「ドライブ・マイ・カー」を読んだ。僕はたぶん、村上春樹に対してある種の先入観をもっていて、「村上春樹的なもの」の嫌な感じ、鼻白む、辟易する感じが、苦手だと思っている。しかしこれは読んでみて、あまり「嫌な感じ」ではなかった。意外というか、いや、そうか、こういう小説なのか…と、映画とは違って、もともとこの小説の中でやろうとしてることが、はじまって数ページの時点で、わかるものがあった。いまさらだが、村上春樹の小説を、はじめて読んでいるような気さえした。

映画「ドライブ・マイ・カー」には、鼻白むような、呆れて辟易とさせられるような箇所が、幾つかあると僕は思って、それはおそらく原作側に原因のある各要素の問題だと思っていた。しかしこれは間違いだと思った。むしろ原作で成立していたものを、映画で壊して、それに無頓着なまま別のことをしている、という感じだ。

映画「ドライブ・マイ・カー」では、「女のいない男たち」から、いくつかの作品を混ぜ合わせて原案としているのだが、僕がまだそのうちの一つしか読んでない段階ではあるものの、思うに、この混ぜ合わせた結果のプロットが、かなり良くないのではないかと感じられる。本来ならつながるべきではないものが、映画の都合でつながってしまっていて、その結果、小説がおそらく細心の注意を払って成り立たせようとしたものを、映画では最初から問題にはしてないので、かなり無残にそれらが消えてしまった感じがする。無論それが、原作と映画の関係と言うものでしょう…と言われたら、たしかにそうかもしれないし、この脚本で原作者も了承しているのだろうから、たしかにそれはそれなのだが。

それでも映画の登場人物になった主人公と死んだ奥さんと運転手の女性は、ほんとうはそんな人じゃない(そういう筆圧で書き込まれるべき人ではない)のに、虚構の人々ではあるが、やや気の毒に思う。