感触

クロード・シモン「フランドルへの道」。客観的判断ではなく、認識でもなく、戦争とこの私との距離の近さから来る、戦争の加速度、戦争の匂い、戦争の色、戦争の湿り気と泥の感触。ひとつ確かなのは、これらすべてが体験から出た言葉、その驚きからもたらされた言葉だということだろう。

つまりその前の後退地点まで道をつづけてもやはり道路の左右に見えるのはただあのめったやたらにからみあった、単調でしかもなぞめいた、大敗戦のあとの残骸ばかり、つまりすでにトラックとか、焼けた荷車とか、男とか、子供とか、兵隊とか、女とか、馬の死体とかでさえなくなったただのがらくた、まるでなにか何キロにもわたってぶちまけられたひろびろとした塵埃処理場みたいで、おきまりのあの英雄的な貯肉場の、腐乱死体の匂いでなくただの汚物の匂いを発散するだけで、要するに罐詰のあき罐、野菜屑、焼けこげたぼろなどの山がはなつような猛烈な悪臭をはなち、汚物の山以上に感動的とか悲劇的とかいうわけでもなく、たぶん屑鉄屋やバタ屋だってあまり用がなさそうな景色で、それ以外のなにものもなく、そのうち、相変わらず前進しつづけるうちに彼らが(伝令たちが)道の曲がり角で一斉射撃を浴び、おかげで土手の斜面にもうひとり死人がふえるといった勘定で、ひっくりかえったオートバイがいつまでもばたばた音を立てて空転し、あるいは火を発し、おかげでまたくにゃくにゃによじれてさびた鉄の残骸にまたがりつづける、あの炭のように真黒こげになった死骸がひとつふえ(そんな変化がどんなに素早く行われるかってことに気がついたことがあるか?平時なら何か月も何年もかからなければ完成しないような現象を---さびをつけるとか、汚すとか、廃墟に変えてしまう、いろんなものを腐らせるとかを---戦争が生じさせるあの加速度的テンポみたいなやつを、とてつもないはやさを考えたことがあるか?)それはまるでいつまでもハンドルの上にかがみこみ、ものすごいスピードでダッシュしながらそのまま、ものすごいスピードで腐乱してゆく(下の緑の草の上にねばねばしたどす黒い液体---ガソリン、機械油、焼けた肉?---の褐色がかったタールみたいな、排泄物みたいなしみをひろげてゆく)、オートバイレーサーのなにか陰惨なカリカチュアみたいで--- (190-191頁)

しかし、こうして文章になってしまうと、それが得体の知れぬ魅力を放ちだす、そのイメージにどこか惹かれてしまう、それを否定するのは難しい。もっとも醜悪な対象をあつかっているのに、言葉そのものははげしく躍動している。