大学

三宅さんの3日付けの日記を読んで、思わずこちらまでそわそわしてくるような、この場にじっとしていられない、何かどこかで、何らかの目的のために、自分を使役して動かなければ、ただ歩く目的のためだけにでも歩かなければと、そんな気にさせられる。

任地へ到着して、諸々準備をし、関係者と様々なやりとりをしつつ、なんとか以前のような生活を再開したということが文章で綴られていて、それでようやく、あー、2019年の終わりをもってストップした何かが、時間を経て、今ようやく動き始めたのだなと、あの今から一年九か月ほど前の時間、今や忘れかけたあのときの続きが、今になって、まるでそれまでのことが嘘のように、飄々と再生されはじめたのだと、それを彼の時間でもあり、同時に自分の時間でもあったかのように感じる。

その喜ばしさを、素朴に味わっておきたい。これまでのおなじみの親和と、これからの新鮮さが、まるで水の中みたいに、あたりまえのように平然と混ざり合う。それが今であり、これからだ。大学はあ~、花ざかりい~と、声を張ってうたいたくなる。