待機

昨日の夜のことだが、帰宅時の電車内に一時間以上閉じ込められた。夜九時過ぎに横浜を出発した東海道線が川崎の手前で停まり、そのまま十時半過ぎに動き出すまでひたすら車両内で待たされた。

乗客もまばらで、その意味ではまだマシだったけど、そういう状況だからこそ一時間半も待たせたのだろう。ピーク時間帯のトラブルなら、おそらくもっと早めに何とかしようとするだろう。このパターン、何年か前にもやられたことがある。同じような時間帯だった。

こうして電車内でただじっと動く(目的地に着く)のを待つ、こういう待機時間にとつぜん出くわすと、たとえば今このときを、有効に使うとか有意義な時間にするとか、自分の場合そういうのがいっさい出来なくなる。ただ待機するだけの、中身が空っぽの、ぽかーんとした人間になってしまう。状況に抗いつつこの時間を自分の元へ取り戻そうとする意欲の減退を、我ながら意外なほど自覚してしまう。

停止中の電車内はとても静かである。時折状況を知らせる車内アナウンス、その運転手のマイクが拾う周囲の音だけが、賑やかさを運んでくる感じだ。アナウンスが切れればふたたび静寂。

それにしてもこんな状態で、他の乗客らが一人たりとも怒ったり嘆いたりしないのがなぜなのか、とても不思議だ。そのことは数年前の同じパターンのときも同じように感じたのだけど。誰もがじーっと黙って待っている。居眠りしてる人もいるし、新聞読んでる人もいるし、ぼんやりスマホを見ている人もいる。非常時の雰囲気はない。こんなに長時間閉じ込められているのに、皆がのんびりと、まるでそれぞれの用事で待合室にたまたま集まった人々みたいに、ただその場にいる。

もしかすると向かいの相手も、僕を見て同じように思ってるかもしれない。なんでこいつ、怒りも嘆きもせず、ただぼーっと待ってるだけなんだろうか、と。