キップル

昨日の寒さは、もはや危険な領域に入っているのではないかと、外を歩いていて思った。自ら生成して身体の内側から冷気を押し返すはずの熱量が、あきらかに弱まっている気がした。エントロピーが増大していた。風邪は引きたくなかった。図書館を出たあと、どこへも寄らずに帰宅することにした。帰って、熱めの風呂に長く浸かった。

P.K.ディック「アンドロイドは電気羊の夢を見るか?」に出てくる「キップル」の話。たぶんこの小説の主題ではない部分なのだけど、妙に気になった。キップル、役に立たないもののこと。「だれも見てないと、キップルはどんどん子供を産みはじめる。」「グレシャムの悪貨の法則とおんなじで、『キップルキップルでないものを駆逐する』」「だれもキップルには勝てないからだよ。そりゃ、一時的に、ある場所では勝てるかもしれない。たとえば、僕の部屋ではキップルの圧力と、キップルでないものの圧力とが、ちょうど五分五分になってる。だけど、いずれ僕が死ぬか、どこかへ行くかしちゃう。すると、またキップルがあそこを占領してしまう。これは宇宙のどこへ行ってもおんなじの一般的法則なんだよ。宇宙ぜんたいが全面的な完全なキップル化にむかって動いてるんだ」なぜ作者のディックはこれを書き入れたのか。「ウィルバー・マーサーの山登り」の話をするときの前置きとして必要だったから?

核戦争後の地球に残された生物を、放射性物質がじょじょに蝕んでいくというのは理解できる。しかし荒廃した地上で人間が生き続けるとき、周囲に「役に立たないもの」「無用物」がしだいに増え始め、あたり一面が「灰」と同化していき、すべてが「無用物(キップル)」そのものへと変わっていくという、このイメージは核戦争後の人類が見舞われる世界のイメージというだけでなく、もっと基本的な物理一般の法則(エントロピーみたいな)、あるいは文明に取り囲まれた人間が、ゆっくりと死に向かっていくときの、必然的におそわれる事態の説明ではないかという感じがする。なんとなく、ゴミ屋敷のような、孤独死のようなイメージをも連想させる感じがある。

その意味で「老化」の説明だとも言える。死の灰が人の顔や姿を灰色に変えていく、しかしそれはまるで、人を死に近づけるのではなくて、人を永遠にそのままの姿に定着させようとするかのようでもある。死体は腐るが、腐るというのは、有機化合の運動が継続しているのだから、まだ生きていることに近い。しかし死体でなければ「キップル化」する。同化して呑みこまれる。何もないということへと移動する。変化を止め、いつまでもそのままの無機物として、いわばキップルとして。