ジンジャーとフレッド

DVDで、フェデリコ・フェリーニジンジャーとフレッド」(1986年)を観る。老いたマルチェロ・マストロヤンニをとらえるカメラの残酷さ。もうちょっと撮りようがないものか…と思うくらい、そこに映し出されているマルチェロ・マストロヤンニは、あの著名な俳優とは信じられないような、スターの後光など欠片も無い、頭の薄くなった、すぐに酒をほしがる、ただのしょぼくれた爺さんに見える。いよいよ出番が近づくにつれて、緊張で口数が少なくなり、表情も硬くなり、なすすべなく運命を受け入れるしかない、無力な老人の姿。ジュリエッタ・マシーナの方がまだ気概を感じさせる。不安を押し殺しながらも、作り笑いで司会者の後へ続いてステージへ向かう。

そもそもジンジャーとフレッドの役を、老年のジュリエッタ・マシーナマルチェロ・マストロヤンニが演じると聞いただけで、(それは、どう考えても、おかしいだろ…)と、誰もが思う。そこはもちろん作り手も当人もきちんとわかっていて、ジュリエッタ・マシーナマルチェロ・マストロヤンニはかつて人気を博したジンジャー&フレッドのそっくりさんコンビで、かつては恋人同士の時代もあったそんな二人が、クリスマス特番のテレビ出演のために、三十年ぶりに再会するというお話なのだ。

三十年ののちに時代はテレビ全盛となり、駅構内は人が溢れ騒々しく、ローマ周辺はゴミや工事現場の埃にまみれていて、あちこちに無秩序きわまりない状態で広告や看板が立ち並んでいる(80年代半ばの、このローマ近辺の風景がものすごい。ローマとは思えないのだけど、当時はたしかにこんな感じだっただろうという気もする)。テレビ局の若いスタッフもプロデューサーも老年二人のことなど深く知らないし、ましてやリスペクトなど微塵もない、ずいぶんぞんざいで無礼な態度で接する。他の出演者たち、スタッフ、舞台裏を見に来るお偉いさん、とにかくガチャガチャ忙しなくて落ち着きなくて、しかしイタリア語ってほんとうにウルサイというか、まさに有象無象の蠢く混沌とした楽屋の外れにある一角で、二人はどうにかリハーサルらしい打合せをして、ステージ衣装に着替える。

本番がはじまって、頼りないフレッドをロジャーは支える。踊りながら、二人はずっと小声で話をしてる。次はどうだっけ?あと二回よ。次は足、次はタップ。ロジャーが次々と案内して、フレッドはたどたどしくステップを踏む。途中、派手に転倒して、それでも立ち上がってまだ続ける。まるで大したことない、これがジンジャーとフレッドのそっくりさんか、しかし、なんというかこれは「トップハット」のメロディを聴きながら、目前に見ているこれは、たとえば、涙なくしては観られない場面、そんなものがあるのだとしたら、これこそがまさにそれだと、そういう映画だ、そう言わざるを得ないだろう。たぶんかつて、これを観て泣いたすべての人々をも含めた、それら全部の記憶として、自分も同じ思いをたどり直すしかないだろう。そう思って、感極まりそうな胸を抑える。

音楽が鳴り止み、拍手が沸き立って、二人はステージを下りる。舞台裏から下がる階段に、少し距離をあけてふたり腰掛ける。ジュリエッタ・マシーナは手で顔を抑えて泣く。マルチェロ・マストロヤンニ疲労困憊の体だ。他の出演者が二人を労い、すごく良かったよ、でもそこにいると邪魔だからどいてとスタッフが告げる。ジュリエッタ・マシーナの涙は、なおも止まらない。その一部始終を、少し距離をおいた位置から、カメラが捉えている。素晴らしいシーンだ。