私は会いたかった

フェリーニジンジャーとフレッド」の後半、停電したスタジオ内の暗闇に包まれたステージで、ジュリエッタ・マシーナマルチェロ・マストロヤンニに、テレビ出演を承諾したのは孫にせがまれたからというのは嘘で、本当の理由は貴方に会いたかったからだと言う。

かつてのパートナーで恋人だった男の三十年後の姿、そんな相手に会いたいものだろうか。そんなの会わない方がいいのにねえ…と思わないか。

女ならそう思うものだろうか。男はたぶん思わない。いや、女だって思わないだろう。

夢から目覚めたあとになっても、見ていた夢に強くこころを奪われているときがある。それは何も、生きる場所はこの現実とされている場所だけではなくて、私にはもう一つ生きる世界があったじゃないかと、ふだん忘れているそれを思い出したからだ。

本来なら絶対に会うことができない相手に会った夢を見たときもそうだ。ずっと会えないと思ってたけど、相手は当然のようにそこにいる。この人と一緒の、これだって私の生きている世界だったのだと。

絶対に会うことができない、それはつまり相手が、もうこの世にいないからでもあるが、それだけではなくて、相手がもう年老いてしまったからでもある。年老いた相手は、もはや記憶のなかに在る人ではない。夢に出てきたその人は、まだ若かった。もちろん自分だって、夢の中ではまだ若いのだ。

もう二度と会えないというのは、もう二度と若い頃の貴方には会えないということだ。たとえ会っても、ちっぽけな老人二人が顔を見合わせてるだけなのだから。

しかし、それでも良いから私は貴方に会いたかったと、人は思うものだろうか。砂を噛むような思いをするに決まっている、そんなことはよくわかっているにもかかわらず、そう思うものだろうか。

だとしたらそれは、何を知りたくてなのか、どんな動機によるのか。知りたいとの思いすら、やがて消えていくことをわかっているからか。