俘虜

上野の西洋美術館にでも行くかと言って家を出たけど、門前まで来たら予想以上に人が多くて入館をあきらめる。なんか前にも同じことがあった気がする。リニューアル後の西洋美術館はなぜあれほど人気があるのか。仕方がないので居酒屋へ行く。最初から、そのつもりだったのでは?いや、決してそんなことはない。

大岡昇平「俘虜記」の途中から、なぜか再び読み始めてしまう。書かれた内容ではなくて、この理屈攻めで考えを進めていく文体というか方法にふれるたびに、柄谷行人っぽいなと思う。私と神の関係とか、同じように俘虜となった戦友、上官らの愚劣さや気高さ、しかし人はその根底に理由らしき単体の論理を持ち合わせてはいないこと、人は軍人として自らを律しながらも次の瞬間には変わるのだということ、そこに連続性を期待することは出来ないということ。そして我も彼も、いま俘虜であるということ。「どうすれば思考たりうるのか」の強い緊張感によって、それらが執拗に吟味されていく。