宮崎駿崖の上のポニョ」(2008年)を、冒頭だけ少し見るつもりが、結局最後まで観てしまった。宗助が自宅から海辺までの下り坂を駆け下りてくる場面からもはやすごい。

そして津波の場面のすさまじさ。歓びだの悲しみだの恐怖だのに区分けすることの出来ない、ある圧倒的な力の現前があって、何も言わず、黙って車を運転して、ポニョを自宅に招いて宗助と一緒にごはんを食べさせ、また黙ってふたたび夜中に車で出て行くリサの姿があって、焦ってイラつくフジモリがいて、一夜明けて、変わり果てた景色と青空、不可逆的に何かが変わってしまった後でもあり、船の上の人々の、それでも変わらない暮らしの息吹があり、そして、会合する二人の母親たち。

これはカタストロフィの映画のようでもあるが、それ以前に、ただ津波に呑まれた者たちの映画でもある。それは劇ではない。劇的なものは何もない。というか、そういうこと諸共流れ去ってしまう。ただ運動のみが描かれている。描かれたものがそのまま示されていて、余剰はいっさいない。誰が良いとか悪いとか世界がどうとか、そんな冷静な判断が可能な安定した場所は、登場人物の誰にももちろん観る者にも、いっさい与えられてない。

魚の子の映画なのだなあ・・と思う。魚、津波というか海水、海流というか、水の動きの映画とも言える。登場人物たちも流れのなかにいる。その一部始終を見守ることだけが許されている。

ならば昨日の新作は、鳥の映画だっただろうか。鳥の糞は、なかなかすごかったけどなあ…と思う。