荒木陽子という人は、1947年に生れて、1990年に死去した。荒木経惟の妻であり多くの写真でモデルを務めた。

僕の母が1944年生まれで、先日に傘寿だったわけで、荒木陽子とさほど変わらない年齢なのだ。荒木陽子はそれこそもっと大昔の人物だと思っていた。「センチメンタルな旅」が1971年刊行だから、だいたいその時代に亡くなったかのように漠然と思っていた。ひどい大雑把さだ。

しかし写真作品のモデルであるとは、つまりそういうことなのだと思う。つまり、そういう誤解の余地をも許容しつつイメージの幽霊として継続するということなのだと思う。自分は荒木陽子が1947年に生れたという事実を今さらのように知って、それなりに驚いているし、亡くなったのが1990年であることにも、驚いている。

「センチメンタルな旅1971-2017」の陽子は、まるでひとりじゃなくて複数の女性が演じているかのようだ。よくもまあここまで多様に見えるものだと思う。荒木経惟という作家にとって、陽子の顔こそ、世界の謎の中心であり、力の根拠でもあり、誘惑でもあり、安らぎでもあっただろう。撮影こそが、そのような対象に出会ったことの幸運を何度でもたしかめる行為でもあっただろう。

それを私事だと強調すればするほど空しくて、私とあなたの二者関係を、写真は写真である以上どこまでも裏切るというか、結局は誰の目線でもない何かへと際限なくズレていく。カメラから目をそらす陽子の視線の先がフレームの外にあり、その視線の先が、根拠なき希望の先でもあり、救いを請いたい方角でもあり、そんな打算が煙のように漂う以外、あとはただ荒涼としている。どこまでも煤けていて、ざらついている。