柳川

新宿武蔵野館で、チャン・リュル「柳川」(2021年)を観た。福岡県に柳川という場所があって、そこを舞台に映画を作ることになったので、それがきっかけで、つくられた映画…ということなのだろう。いや、そうではないのかもしれないけど、なんとなく、そういう感じがする。

主人公とその兄は、柳川という名前を見て、それを中国語読みしたとき、それが二人にとって只ならぬ存在であった女性の名前であることに気づく。しかも彼女は今、じっさいに柳川で暮らしているという。かくして二人は彼女と再会するために、柳川をおとずれる。

そのような話の流れがいかにもそう感じさせるのだが、でもそれは、悪い意味ではなくて、それだからこそ、この映画の質感が、それで決まっているのではないかという気がする。話は要するに、どうでもいいことで、場所とか、人の事情とか、出逢いとか別れとか、そういうものではないものを捉えるための試みであり、そのための仮止めのように作られた設定、それが柳川であり、彼女の名前であり、兄弟との関係であり、そして柳川という場が見せてくれる様々な景色であろう。

ということを踏まえたうえで、しかしこれはさすがに、全体的に端正で綺麗過ぎはしないか、あまりにも美的に落ち着きすぎてはいないだろうかとの疑念をおぼえなくもない。見える景色にとどまらず映画として、話として、あまりにもノイズのない甘美さに終始しているように思えるところもあるのだけど、それでも観ている目の前のそれに、心を許してしまって、これでいいのではないかと、思わせるところもあった。チャン・リュルの過去作「慶州 ヒョンとユニ」の後半において徐々にあらわれてくる、もやもやとした不吉さのようなもの。その感触が本作にもあったのかと言えば、答えづらいのだが、しかしある迷路の行き詰まり感というか、甘美で口当たりの良い景色を見過ごしつつ、しだいにあらわになる手探りの行き止まりで、しばしじっと黙るしかないような感じを、ああ・・もしかするとこれが、作り手の手のまさぐりの感触なのかなと、さあこの話をこの後どうしてくれようかと迷ってる、その感触ではないかな、と、そんなことを思った瞬間があった。それはかすかなものでしかないのだけど、かすかにはあった気がした。