馬鹿馬鹿しいということ

・・・でも僕の絵にGirls In The Thunderbolt Suitというタイトルのものが多いからといって、僕の絵はあからさまに馬鹿馬鹿しさを感じさせるものではない。と思う。っていうか、「うわ。よくまあこんなの描くよ。馬鹿馬鹿しい」という感想を持つ人が全然いない。ということは絶対ないだろうから、その意味ではやはり馬鹿馬鹿しい。でも、その意味では僕に限らず、今美術制作している人間の、成果物としての作品の大体が、馬鹿馬鹿しさの可能性を秘めているのだろうけれど、ひとまず今は、その事はどうでもよい。


昔、学生だった頃、故・榎倉康二先生に講評して頂いた事があった。僕はそのときも、ある意味馬鹿馬鹿しさのようなものを頭の片隅に置きつつ、馬鹿馬鹿しいのかまじめなのかよく分からない、どうにも中途半端の作品を出した。で、榎倉先生に「もっと下品な俗っぽい感じを出したいんです」と言った気がする(青いねー)。。そしたら榎倉先生は「うーん君は下品になんかなれないんじゃないの?この部分なんかすごい色の組み合わせとか、綺麗さを考えてるでしょ?」とか言われて、この言葉に僕がどう思ったかというと、「下品になれない」と言われた事は全然ショックではなくて、「この箇所の色の組み合わせとかを考慮してる」と指摘された事に、すごい嬉しさを感じてしまったという…(涙)・・なんとも僕という人間のスケールの小ささというか、けつの穴の小ささというか、男としてのウツワの小ささというか、そういうのを、今思い出すと、感じるんですよね。。。


で、今はどこに向かおうとしてるか。というと…。よく分からないのだけれど。「馬鹿馬鹿しさ」とか「まじめさ」とか「綺麗さ」とかを目指してる。なんて事は全然無くて、ただ、描くことにしてます。もう知るかよ!?? って感じで、描いてます。