悪女の美食術 福田和也


悪の美食術 (文芸第二ピース)


主に若い女性を対象とした本で、群れをなして食事するな。行列するな。一人で、まともな店で食事せよ。それは、食事でありながら周囲の視線や孤独感との戦いでもある。という点において、多分それなりに痛みを伴う行動だと思われるが、それでもそれを実施する事が、貴女自身の社会意識を研ぎ澄まし、貴女を価値在る女性に変えるだろう。というのが、本書の主旨と言える。


若くもなければ女性でもない僕だって、高所得層でもなく社会的地位もないんで、歴史ある由緒正しい店で食事をするというのは、はっきり言ってそんなに楽しいことじゃない。ちょっとした振舞いひとつとっても、他の視線を意識し、自意識の葛藤とを緊張を伴う、ほとんど苦行みたいな経験だったりする。


「ああやっぱ俺たちの身分で行くべき店じゃなかったかな?」なんて後で反省する訳だが、よく考えると、ちゃんと雑誌にも出てて、ある一定の社会的地位および所得の方以外お断り。とは謳ってないじゃん。っていうか俺はそんなに、あの店にそぐわない外見でもなかったと思うし、振舞いも特に粗相はなかったぜ!普通じゃん!と考え直し・・・


「やっぱりいいんだ。俺はあの店でせいいっぱい、料理と雰囲気を楽しいんで良かったはずだ!だのになぜなんだ!!なんであんなにしんどかったんだ!?っていうか、確かに旨かった。でもあの値段分の旨さなのかどうか、それは俺にはわからん。。ってか隣のオヤジ連中は、やけにかっこよかったな。カッコいいおじさんというのに、普段お目にかからないんで(かっこつけたおじさんは腐るほど見かけるが)、ああいう種族を見れただけでも良かったけど。。それにしても緊張したなー。。酒ばっか飲んで、すごい金額払ったなー。」


などと、うだうだ煩悶する。まあ「そういう店に行きたい」と考えて、行ってる時点で、僕は愚かである。


っつーか、旨いもの食いたい。というのはともかく、話題の店で食いたいとかは勿論、高級な店で食いたいとか歴史ある由緒正しい店で一度食いたいとか、そういうのももう、完全に俗物の欲望であろう。


福田和也っていう人も、爽快なくらい俗物と思われる。


でも、美術だって文学だって、教養あるとこ見せたいとか、文化や藝術を楽しんでいる自分を感じて、自己満足したい。的な、俗物的欲望を今まで一度も、全く全然、感じた事が無くて、そういうものに関わって来た、今も関わってるという、そんなヤツはひとりもいないだろう(乱暴だが断言)。


で、食文化とか、芸術と呼ばれる分野っていうのは、人々のそういう俗物性をちゃんと吸収してくれる要素があるのだと思う。だからまあ、それ自体は良いことなんだと思う。

怯えを克服するのが勇気なのであって、はじめから平気なのは無神経にすぎません。


だから、そういうのを乗り越えると、きっと素敵な人になれますよ!と…。


でも問題はその対象(店なり美術作品なり)から「君には10年早かったね」と突き放されるときの「心の傷」の問題である。


美術や文学の一部から突き放された経験は、けっこう他人から隠す事ができるのである。でもお店で、他の客の見てる中で「突き放された」りしたら!・・・想像しただけで身の毛がよだつ。


一人で食事をしていて、粗略にされたり、忘れられたりするほど辛い事はありません


誰でも同感でしょ!?僕も特に若い頃はこういうのが本当に恐ろしかった。さすげに最近は普段ささっと飯食うようなとことか飲むところで適当にされても気にしないくらいは神経の周りに脂肪がついてきましたが…少しちゃんとした店で、その状況は辛いだろうな。


「大人」とか、「社会意識が高い」雰囲気を出す。いうのは、人からまともに思われていて、社会的にそこそこ役に立つちゃんとした人ですよ私は。という表出の洗練されたかたちと言える。(単に外見がかっこいい。という事ではない)


由緒正しき高級料理店というのは、来る客にこういう洗練されきった社会意識の表現を迫るような店と言える。だから、お茶を飲んでるだけで、えらくサマになってるおじさんとかが、いる訳だ。


でも、まあそういうのは、繰り返すが社会的地位と金銭が要る。だからまあ僕なんかの事はこの先も一生お呼びじゃない世界なんでどうでもいいとも言える。わはは。


ただ、金持ってる癖に散財の能力に著しく欠けるのが日本人なのだろう。愚かを絵に描いたようなせこい芸能人たち…。(異様にわかりやすいリッチさを語ることでしか、自分を紹介できないという、貧しさ)あらゆる分野の富裕層の、文化意識の低さときたら。。


ってエラく僭越な文章になってしまいましてすいません。でもこれを読んで下さっていて、人並みかそれ以上にお金を持っていている人は、たとえば画廊で「現代美術」を購入するとか、モノは試しに一度、ご検討されたら如何でしょうか?もしあなたが「現代美術」にそれほど経験をお持ちで無いのであれば、場合に拠っては「突き放された」りして、ひどく傷つくかも!おいおい高い金出すかもしれない客を「突き放」してどうするんだよ!と、納得のいかぬ思いをする可能性も、あるかもしれません。(超歓迎される可能性も高いが)でも…

怯えを克服するのが勇気なのであって、はじめから平気なのは無神経にすぎません。


だから、そういうのを乗り越えると、きっと素敵な人になれますよ!と…。(2回目)


で、そういうのがもっともっと浸透していって、美術の世界もお金が回り始めたら良いですね。今のところ美術家ってクオリティ高い人でも、他分野のクリエイターと較べてあんまりお金無い訳だし、なんかつまらない左翼みたいなイメージが抜けないような…そんな位置づけになってしまうのが…もっと、最高にエッジの利いた作品作ってる美術家でなおかつ経済的にも大成功して、裕福で、もっと食ったり飲んだりとか「正当な堕落」をしてる人が増えるといいな。と思う。(・・・まあでも、このあたり何が良いのか、一概には言えないですがね…)