食読


食事あるいは酒を飲みながら、読書するのが苦手である。メシ食いながら本、上手くできますか?僕は無理。飲食中の読書を、行儀が悪いとは、あまり思わないのだけれど、いやいや、行儀が悪いけど、でもまあ、いいじゃないかと思っている。でも、いざやろうと思っても、これがなかなか実際には、難しいというか、わからない。どうすればいいのか。


本はたいてい、ページを開いた状態にして手を離しても、そのままの状態ではいてくれなくて、すぐに元の状態に戻ってしまうので、食事しながら本を読むなら、まずこれを抑えておく必要があるけれども、これをどうすれば良いのか、自分にはわからない。いや、そういうページを留めておけるクリップのようなものがあるのは、何となく知っているが、じゃあそれで留めたとして、今度は次のページに進むときに、そのクリップを一々外して、1ページ捲って、また留めるとか、そんな手間のかかることを、読み進む毎にしなければいけないとか、しかも飲食しながら、それは手間がかかりすぎる。


そういうのを、すごくスムーズにそつなく両立させて実行できる人もこの世にはたくさんいるのである。実に、すごい。尊敬したいし、教えを蒙りたい。


それよりも見よ。視線の先数メートルに、不倫のカップルが着座している。横浜の、フレンチ・レストラン。女は前菜の終わり頃から泣きはじめたので、男が、前屈みになって腕を伸ばして、泣く女の手を握って、まるで肉離れを起こした筋肉を揉み解すようにして、相手に対してじっと、その腕の力を込めている。テーブルを挟んだ、向かい合わせの二人の、効き目の程があやしいマッサージである。


二人はそれぞれ家庭があり、仕事があって、バカな逢瀬をくりかえしながら、ああ私たちはこうして、何ヶ月も何ヶ月も、季節も年月も、巡り巡るね、ということで、いいかげん、涙も溢れだす、何度目かの春のスペシャルディナーコースなのである。


「あなたのやろうとしてることはね、よっぽど技術的に上手じゃないと、やってはいけない事なんだよ。」「見せる相手を間違えているんだよ。やりたいことに拘るだけじゃなくて、もっとターゲットを見定めなきゃだめなんだよ。受け入れてくれる相手を探すのも大切なんだよ。」これは、別の席から聞こえてきた声。



食事のあと、男は女と別れて、改札を抜けて、一人で東横線が滑り込んでくるプラットホームへ立ち、そこから一時間ばかりかけて自宅へ戻る道行は、いつもの通勤時とまったく一緒である。


女は?というと、女は一人でホテルに部屋を取るのだ。そして一人、朝になったら帰る。


なぜ一人でホテル泊?わからない。その男女は、帰りの方角すなわち住まう地域は、だいたい一緒の区域なのだ。だから食事のあとで、二人そろって、同じ電車に乗れば良いのである。しかし、どうもそれには抵抗があって、それは周囲の目がとか、近隣に警戒してとか、そういうことではなく、そうじゃないけど、なぜだかどうしてもそれは、ということで、女だけが、その場に残るらしいのだ。


不倫のカップル、と言っても、そうやって二人が朝まで一緒というわけでもなく、せいぜい食事の間に、片方が泣いて、お互いおずおずと手を握り合ってる程度で、そのあと女がホテルに素泊まりするだけのことで、まあ、たかだかその程度である。これ以上、深入りする必要もないと思うがどうか。


女が泣きはじめたのは、牛蒡のポタージュを食べ終わった後だったのだが、地味で質素ながらもこれはまさに今日構成された物語において、やや遅めの春をじっくりと感じさせることを担わされた、本日のその店における一皿だった。