古い日記


日記というものを、実は中学2年くらいの時から、書いたり書かなかったりを繰り返して来たのだが、結局、大学2年くらいまででやめてしまって、その後、ずーっと書かなかった。


今年のはじめに実家に戻ったとき、書き溜めてた昔の日記をごそっと引っ張り出してきて、一気に読破した。かなり時間が掛かったが、楽しいひとときであった。


高校生のときが、「執筆活動」にもっとも熱を入れていた時期だった。でも、今に至るまで誰にも見せた事がない。たとえば小説家になりたいとか、そんな事は今も昔も、一度も思ったことはない。言葉の世界にいる事が楽しいとも、思わなかったし、一体なぜあれほど執拗に書いていたんだろう…?


これらはB5の大学ノートとか、カバー付きの手帳に書かれているのだが、表紙は自作されている。で、タイトルが付いている。これらのタイトルは、ノートが新しくなる度に、異常に深く考えた結果、決定される。


1.泣く女
2.blue
3.idea
4.dessin
5.watatta
6.R.S


高校3年間で書かれた6冊のタイトルである。命名理由は今となっては不明(笑)。推測だが、1冊目はピカソのあの絵。5冊目タイトルは、忌野清志郎のナンバーから頂いてる。2冊目もRCサクセションのアルバムタイトルであろう。6冊目はなぜか自分のイニシャル。ラストアルバムのつもりかもしれない(笑)。


読むと、当時面白がっていたものとか、こういうのが「過激」とか思ってたんだな。とか、いろいろ懐かしいし、恥ずかしいと同時に、根本的考え方が、今もほぼ変わっていない部分が多々あるのが、恐ろしい事でもあった。


しかし、自分の長い日記を読んでいて、これが書かれてから20年近くが経っており、自分が既に35才になっているという事を意識するとき、ああ自分は、この日記に書かれたような記憶が積み重なって、更にここに書かれていない事も、多々経験してきたのだけど、結局、今、見えている何かを元手にやっていくしかないんだという、すごいあきらめが全身を襲ったのだった。結局、僕が作るものは良いとか悪いとか、人が何とでも言うか、あるいは何も言われないのだろうけど、それはともかく、自分を完全に、コントロールすることは出来ず、自分が描く絵を自分の思うように描く事も、また出来ないのだ。。という事が、はっきりと見えた気がした。