眠かった。なにしろ朝は六時起きなので、おそろしく眠い。翌日六時に起きなければいけないという拘束的な事実は前日の自分を激しく抑制させ縛り付ける。現時点の自分がまるで、充電が完全ではない携帯電話のようなものに思え、安心な貯蓄額を欲し、できればなるべくプログレスバーを右いっぱいにしておきたいと思うのだが、でも今すべてを放棄して死んだようにじっとしているのも辛いというジレンマに陥らせる。明日の自分に負債を背負わせるのももういい加減度重なっていて、今の自分がすでに、明日の自分から明確に信頼を失っていることにはっきりと自覚的なまま、夜を過ごすものだというのが、年齢を重ねることではじめて思い知る事実のひとつでもある。
そもそも先週の週末で、この日記を数日分書き進めたかったのに、結局かなわず、一日も書く事ができなかった。タイトルを「アメリカの若者の夢」としたかった。そのタイトルで思い切り書きたかったのだが、結局書けなかったのだ。
「アメリカの若者の夢」奥田民生の「たったった」という曲があって、その歌詞の中に出てくる文句である。うたうのだとしたら、とりあえずなんでもうたっていいんだな、ということをおそるおそる、いややや投げやりな勢いで確かめるような歌で、それはとどのつまり何も歌うことがないし歌う必要性も見出せないといえば見出せないのに、でも今、かろうじて何かうたう必要があるかないしはうたう気があるのだとしたら、誰の暮らしでも、軽はずみでも、出来心でも、浜辺のうたでも、牧場のうたでも、誰かと誰かの恋でも…。とにかくなんでもうたう、ということを、とりあえずさしあたり、試すように口にしてみるような、そういう歌である。
宇宙のうた、魚のうた、裸の豚、コンピュータ、アメリカの若者の夢。…まあでも、あんまり大したことない話だと思って、なんとなく何も書けなくなって、それでやめた。
最近だとウォルターギボンズがミックスした昔のディスコのコンピがちょっと良かったかも。あとグラディスナイト。それ以外も色々。あいかわらずのあいかわらず。そのあたりをだらだら垂れ流すように聴きながら。
ところで、今日は十月四日についてなのか。十月四日に何があったのか。十月四日は月曜日だ。先々週の月曜日という日が、あったのか。先々週の月曜日は、まだ十月になったばかりだった。それがいまだに、そういう時間の流れかたに慣れないのだけど。先々週に、まだ月の初めだったのに、次の次で、もう中旬だというのが、なんとなく腑に落ちないのね。そんなにすぐ中旬だというのなら、最初から月の初めとか口にしない方が良くは無いか?あるいは、月の初めと口にした瞬間、誰もがすでに中旬の予感を胸にかかえているのだろうか。そのあたり、いくつになってもまだ僕は世間の感覚というか胸算用のところがよくわからない。これは、最後までご馳走になって、汁まで飲み干したあと、可能ならおかわりしていいのか、それともこのウツワをここに置いたままがいいのか、そういうことと同様に、不可解な謎のまま、よくわからないままだ。ふざけた高校生みたいな子供から、なんだよおっさんそんな事もしらねーのかよ、とか何とか言われて勿体ぶった態度で教わってはじめてああなるほどと思って心から感心していつか理解する日が来そうな予感。で、話を戻すとたしか十月四日は会社に妻が作ってくれた弁当を持参しました。弁当を、食いましたね。弁当を食いながら、オフィスの人々と向かい合って、談笑した。そんなひとときを過ごしながら、自分がすでにもう、上野や秋葉原や神田をうろうろしていない事を実感した。でもこれはこれで、悪くない。そうか会社の中で人と人が、弁当を食いながら、談笑するというのはこういうものかということを学んだ。ものを咀嚼する、グシャグシャいう音をお互い聞きながら、互いが互いの消化活動を活発に躍動させているのを感じながら、海外旅行は年一回とか、タイ料理はパクチーを別皿でとか、ゴマたれよりもポン酢が好きとか、たまねぎはスライスなら食えるけどきゅうりはそのままでおいしいとか、宇宙のうた、魚のうた、裸の豚、コンピュータ、アメリカの若者の夢。