冬の寒い日の制作時の事が突如思い出された…


異常な暑さが、これからしばらく続くのだろうが…なぜか2年前のすごく寒い冬の日の事をふいに、思い出した。

自室で、制作中の画面を床に寝かせて、水分が乾くのを待っている。画面のあちらこちらに、色彩の「水溜り」が出来ている。結構大量の水分のため、2日たっても一部乾いていない。


乾いていない水溜りに光が反射しているのが綺麗だ。このままの感じで定着してほしい。と、何度思ったことだろう。でも、乾いた絵の具と、乾いていない絵の具は全く違う。それは小細工のし様がない。それが僕の今のところの決まり。というかあきらめ。乾いてしまうと、僕の絵は常にしょぼい。でもそれを受け入れ、最大限に利用するという…


そんな感じで、しかし今は、その記憶から2年も経過してしまった現在だ。最近の制作では、こういう事がない。もっと効率的に乾くようにやってる。


2年前はほんとうに、無駄なあがきのように描いて、あとは2日間くらい画面上の水溜りを見てキレイだからこのままがいいなあとか思っているような、そんな制作だった気もする。


昔、まだ学生の頃、紙に塗った乳剤面に写真を焼き付けて、現像してたときも同じような事を考えてた。イメージが定着しかけているのだけれど、薬液で濡れていて、暗闇の中でセーフライトの淡い光を怪しく反射している画面を見てると、ああなんてキレイなんだろうと感じた。(榎倉康二的しみではなく、全体が濡れていて水分を含んだ物体となっている状態)それで、なんとかこのままの状態を、人にみせる事はできないものか?と思った。で、デカイ盥に水をはり、画面自体を完全に水に漬けた状態で、展示する事も考えたのだが、現実化しなかった。あれ、なんでやめたのか?っていうのは、自分でも良く判らないし、今後やる可能性も無くは無いけど、まあ、あまりにもギミッキーだし、仮に、たまたま上手く決まった(作品っぽく納まった)としても「アート臭い」し演出がくどすぎ。と予想したような気もする。っていうか、キレイだから、そのまま出したいって、そういう発想が、単純過ぎるのだろうけど…。


しかし、あのときより、今の方が「進化」したか?といったら全然してない。それより、昔のああいう馬鹿な発想は楽しくていいや。とか思った。別に、やりたい事は何でもやれば良いのだとも思う。もともと僕の資質は超・ハッタリ野郎ではないか。それが美徳であった筈なので、それをまた改めて、肝に銘じたい。