川村記念美術館でモーリス・ルイス展


これは確かにとても素晴らしい展覧会。作品が行為一発で決まってるかのような爽快さでもあり空虚さでもあり、マチエルの微分不可能な差異にどこまでもこだわりつづけるような終了不能な決定不可能な不毛ギリギリのグレーソーンへの滞留でもあるかのような、しかしどこまでも複雑で妖艶な感じは圧倒的に素晴らしく、作品を前にしていると感じられる何かが後から後から沸いてくるので、それを断ち切って立ち去るのがなかなか難しい思いであった。いつまででもここにとどまっていたい、と思わせるような甘美で陶酔的な経験でもあり、同時に僕も今すぐ自室に戻って「ことをおこしたい」気持ちにさえ、させるような、訳もなく何かに駆りたれられるかのような経験でもあるという、とにかくすごく刺激的な作品たちであった。


「MAGNA」という絵の具の事については、はじめて知った。このことを知る事ができて良かった。今はもう入手できないのだろうし、仮に入手できたとしても今さら使用する意味もないのだろうけど。アクリル絵の具でありながら、テレピンで希釈する。というのが、制御可能/不可能の境界線上を不安定に揺らぐような、あのような表情を生み出すのか、と。図録に載ってる「制作の秘密」という題の文章を読むと、絵具製造業者のレナード・ボクールという人物とルイスがけっこうやり取りしていることが書かれていて面白い。絵画を成立させるための努力が、画家本人の内面的な抽象的な努力であるのと並立・平行して、物質を徹底的に意図したように扱い、実現(実装)させるためのベタな努力だったのだという当たり前のことを思い出させる。(個人的には、まだ発展途上でしかないギター・アンプリファイズド・サウンド・エフェクト開発技術に躍起になって、ときには称え合いときには罵り合ってもいたであろうジミ・ヘンドリックスとエディ・クレーマーを彷彿させた。あの当時のエフェクト技術の信じがたいほどの信頼性のなさ、不安定さだけが可能にした感触というのが、あるのだ。アメリカという国の、根拠なし保証なしの不安定をものともしない態度にはほんとうに驚かされる。。)


絵の具を支持体に塗布する、というのは、端的にエフェクト効果を狙った行為なのだが、その狙いは往々にして、意図せぬ結果となったり予期せぬ事態を引き起こす。もし塗布した絵の具と支持体との関係に意図せぬ結果が生じてしまったのであれば、それは塗布者(画家)の責任であるが、それが支持体へ移管される以前の、絵の具自体がもつ違和感であったり、支持体移管後の、予期せぬ様相の変遷であったりするのであれば、それは画家の責任ではなくて画材製造業者の責任である。ルイスの作業やボクールとのやり取りをみていると、その分業に対する認識がすごいと思う。当時ボクールがやっていた事は、まだ本当に上手くいくかどうかわからなかったような、下手すると単なる詐欺みたいなものにさえなりかねない試みだったろう。でもこの時代のアメリカの空気なのかどうなのかわからないけど、絵の具製造業者が平然と前衛アーティストに営業かけて、その後でやり取りしてる、というのが、もはや事業も芸術もフラットな地平で等価なのだという事をこれ以上ないくらいの説得力で証明しているように思う。


(と、ここまで書いたけど、むしろ絵を描く人口だけは多い日本の方が、この手の事情は特殊なのかもしれない。日本では何しろ絵画制作する人口は多いから、国内画材製造メーカーはどこも大企業だ。僕が勤めてるIT関連中小零細企業みたいな、それこそ顧客一人一人をベタにサポートして場合によってはカスタマイズの提案したりもするような関係は、少なくとも日本の描き手と画材メーカーとの間には生じにくいだろう。企業の方がデカイ態度で一方的に描き手に対して「施し」を与えるような制度はあるだろうけど)


もちろん、絵画があるセグメントでは制作者の仕事で、あるセグメントでは画材業者で、その分業体制の結合したものであるからといっても、それが分担範囲内の仕事を組み合わせただけのものでは無い事は言うまでもなくて、どこまで他者のエンジニアリングを介在させようとも、最終的にはアーティストのフィニッシュが作品を決定付けるので、狙ってやった事が正常終了あるいは予期せぬエラーの結果になったとき、でも最終的にこれで良しとするか否かはアーティストのその最終的な一瞬の判断で決められている。要するにアーティストがディレクターである、という事なので、これがまさにアメリカなのだと思うが、その判断のスリルが、作品の緊張感を支えているのだ。…まあそんなの当たり前か。書くまでの事でもない。とにかくこれは超素晴らしい展覧会でした。