太田聴雨「星をみる女性」

(略)今日から以後の日本画は、今日の近代社会の事象に材をとったものがより多くなって行かなくては、その将来は誠に暗澹たるものだと思ふのです。その絵が如何に技法だけで美しくこねあげ、大作らしくこねあげてあっても、その中にその作家の個性によって得た「今日の社会」があり「今日の社会事象」が脈打っていなくてはならないのであって、今日からの帝展はさういふ将来ある作家に期待しなくてはその前途は心細いもので、それでなくては日本画の将来はないと考えるのです。

(鏑木清方 1932年第12回帝展の審査方針についての座談会より)「1930年代展」図録 日本画家たちの視線−1930年代の日本画について− 佐藤美貴 より引用


大正時代の、モダンガールの纏う斬新な衣装や、近代化によって齎されたテクノロジーの様相を、そのままモティーフとして積極的に絵に取り入れていく事で、絵画に「今日の社会事象」が脈打つ。という事は多分ないだろうと思うし、社会事象が脈打ったとしてもそれは絵画の絵画たる喜びが脈打つこととは違うのだろうと思う。


しかしこの時期の、ある種の様式および横山大観を頂点とする精神的統制下において成立していた、20世紀前半の日本画の一部に見られる、軽薄ともいうべき風俗事象への寄り添いが、僕はなぜか決して嫌いではなくて、今となってはほど良く風化してしまっているのが却って楽しく、それらを観てるのが好きでしょうがない。…絵は何千年も前から今に至るまで、脈々と描き続けられてきたという、大変な歴史がある訳で、たかが100年に満たない時間の中で風化してしまうような絵なら、悲しむ事さえできないという話だが、まあ実際に絵を目の前にしてみれば、それはやはり、なかなか感慨深いものだ。


しかし20世紀前半、日本画のマイスター達が言っていた「構成」だとか「色彩」だとか「写実」とかの実体いうのは、少なくとも当時の時点で、東洋画および東洋思想と西洋の近代性を融合させようという大きな目論見において、とりあえず定義された仮定の取り決め(として感じられる…ようなもの)であったのかも知れない。速水御舟が大観から、写実にも程があるんじゃと怒られたりした(?)と聞いても、今の我われにはその理由が切実には感じられない。というか、それが戒められる事で守られねばならない「美」が、ピンと来ない。…まあ先生に怒られたり内輪の評価が下がったりしないように頑張るわけだから当時の画家なら、頑張りドコロはある程度判っていただろう。…しかし、それでもここではたぶん「絵の良さ」とか「絵の質の高さ」はもともと自然発生的に誰の胸にも生じる(共有できる)ものではなかった。近代と共に、とにもかくにも掴み、定義し直すべきものだった。その取り組みの過程で一旦「構成」だとか「色彩」だとか「写実」を一つの様式として括弧に括ってしまう事で、例えば美人画と呼ばれるジャンルは恐ろしく繊細な細部を獲得するに至ったのだと思う。とりあえず、そこに「女性の美」を存分に「追求」できる「器」が用意されている。これが美人画の正体で、このルール定義と、フィールド内プレイの洗練が、日本人にとっての美術の根底に横たわっている。公募団体という、規定の画面サイズで、額を付けて、壁面展示が可能であるような…ある基準の元で、それこそ細部の洗練だけに努力が可能なシステムが、今なお支持される理由もこれだと思う。


竹橋の近代美術館で、久々に太田聴雨の「星をみる女性」を観たのだが、女性の群像と、画面を左下から右上に貫くような天体望遠鏡が描かれている。ここにあるのも、かりそめの枠組みの中で、細部をひたすら洗練させる試みと言えるだろう。「洗練」は時間の流れに押し流され、たしかに風化している。しかし、一方で柔らかな衣服や顔・手のアウトラインと、望遠鏡の無機的な直線が対比されていて、望遠鏡に遮られた向こう側の人物の途切れ方などひとつひとつが繊細で、色彩も慎ましく微かに観るものの意識下に現れて来るようで、そのような不思議な絵画的な愉悦が感じられる事も、確かだ。


まあ、こういう観方って、ただのニヒリズム?…確かにこの絵を世界の人々に見せて、日本の国立美術館に収蔵されている作品です。と言うのは、あまり気が進まないという気持ちも無いではない。が、ただ自分はこの場所で、この絵を観て、なかなか良いじゃん。と思っていて、そういう場所から、やはり自分も絵を描くのである事は間違いない。