「ナニワ金融道 トイチの怖さは10日でわかる!の巻」を読む


ナニワ金融道 トイチの怖さは10日でわかる! (プラチナコミックス)


コンビニで、たまたま見つけて懐かしくて買ってしまった「ナニワ金融道-トイチの怖さは10日でわかる!の巻-」がやたらと面白かった。今回買ったのはアンコール刊行と称して再刊されてるうちの一冊のようで、元地上げ屋で、夜逃げして今ではノミ屋の集金人にまで落ちぶれた「肉欲棒太郎」が、奮起して起業に悪戦苦闘する箇所が中心に載っている。


ご存知の通り、「ナニワ金融道」は金融に関する、かなり専門的なカラクリの狭間に浮き沈みする人間模様…的な漫画であるが、所謂お勉強的な漫画では全く無いし、人生訓的な説教臭さも、案外少ない。一言では捉え難い印象の漫画で、あの絵と、物語の流れというか進め方がちょっと普通ではないリズムを持っていて、なんとも形容し難い雰囲気を作り上げている。たとえば、店子に夜逃げされた大家が債権者に詰め寄られ、保証金を債権者に支払うよう詰め寄られる箇所がある。この場合、大家は店子の債権者に対して、本当に金銭を支払う必要があるのか?という事とかを、この漫画ではテクニカルに説明しない。大家夫婦はその日のうちにヤミ金融で600万円の融資を受けてしまう。このような大金の融資をいきなりお願いする人間が実在するのか?不自然では??と、誰でも思うわけだが、これが物語を追っていると、現実の事としか思えないような切迫感があるのだ。なにも迫真の演出で心理の葛藤やなんかが描かれている訳ではない。むしろ「電話してみよか」「そやなー」みたいな淡々としたノリと段取りで、この夫婦はあらかじめ想定しているかのように、地獄に落ちてしまう。ほとんど絶対抵抗できない「運命」的なモノに嵌って行くのが、異様なまでに冷静な眼差しで追われ、過不足なく描かれているのだ。


この後も、別の金融屋とか、主人公とか、大家夫婦が経営する営業部長とかが、それぞれ驚くほどばらばらに描き分けられていき、それらがある地点で絡み、更に別の運命を導き出していくのだが、この、そっけなく、それぞれの要素がてんでばらばらな方角を向いているようでありながら、各要素を完璧にコントロールしていく物語展開の技量といったら只事ではない。超高級な編集が為された映画のようでもある。


そんな訳で改めてすごい漫画だなーと思いながら読んでいたのだが、とりわけ心を動かされたのが、前述した「肉欲棒太郎」から「ワープロ持ってすぐ来い」との電報を受け取った奥さんが、夜行で広島まで駆けつけようとする瞬間のシーンであった。この奥さんは、「肉欲棒太郎」と結婚する前から、バブルの土地価格が人々の期待感(信用)に拠って成り立っている虚構価格に過ぎないのではないか?という事を非常にわかり易く疑問として質問できるような、本質的に聡明な女性として描かれていて、結婚後も、没落の一途を辿る亭主にポジティブな愛情を以って寄り添う、貞淑な妻として描かれている。…この「貞淑な妻」としての描写が実に素晴らしい。…というか、描写など全くないのだが、それが素晴らしい。普通そのような女性を、ある種の嫌らしさとか、反感を覚えるような高慢さ無しに描くことなど不可能ではないか?と思われるのだが、青木雄二の天才的な絵柄が、この女性を、貧乏で幸薄な、それでもしっかりと地に足の着いた、穏やかで力強い人間として造形さす事に成功した。


夫からの電報を受け取るやいなや(わかったわ。すぐ行きますから)と心で返事をし、その場で準備を整え、部屋の電気を消し、(あなたのところへなら、どこへでもついて行きます)と、感情の乏しい、涼しげな微笑を浮べながら、不思議な妖艶ささえ漂わせながら、家の玄関を閉め、子供を背負ったまま、夜を徹して広島へ向かう奥さんの姿を見てると、何か胸の奥から熱いものがこみ上げてくる。。こうして言葉に書き写していると、実に阿呆らしいように思われるだろうが、こんなベタな話に胸打たれてしまうなんて、信じられない事だが…。