鑑賞のこころ


モノの「良さ」にも色々あって、この色々さと言うのは結構あなどれない訳で、それはたとえば音楽に置き換えると、もうこのジャンルはこんなの誰が聴いてるの?っていうようなマイナーなグループのプライベート盤まで聴き込んでる癖に、こっちのジャンルは超歴史的名盤すら未聴。なんていう人が、「ポップミュージック全体」を楽しめてるとは言えない。という話に近い。ましてやジャズは?クラシックは?と広がるであろうし、もちろん、あらゆるジャンルのあらゆる音楽を聴く事なんて不可能なのだし、それのみを追求する努力というのは無駄で、まあ、好きなように聴けば良いのは言うまでもない。でも、まあ自分にはまだよく判らない手法やなんかもいっぱいあるし、そういう無知な僕であるから、誰かにとって手垢にまみれたような表現が、自分にとってはすごい一撃になる可能性だってあるんだ。とある種の謙虚さと共に予感しておく事は重要だ。(でもそれって幸福なことだ。僕はまだいろいろ楽しめる)…絵画の絵画的な良さもまた然りで、形式や手法の概要を知っていても、手の快楽や目の喜びにまで至らないのであれば、それは知らない事に等しい。(ハードロック好きな人がソウルという音楽を知っていても聴こうとはせず、自ら演奏しようともしない事に近い)


…とはいえ、絵を描いているとなると、人生は短いので、状況に応じて一度決めたら、後はシカト決め込む態度もときには重要だ。このヘンはさじ加減だ。自分を限定させてしまう事もときには良い。というか、すごい快感だ。がーっと思い込んで突き進んで、後でこっそり後ろを振り返るのも、悪くない。とにかくなるべくおいしく楽しく貪欲さを行使したいものだ。