ザ・バンド

Amazon Primeでダニエル・ロアー「ザ・バンド かつて僕らは兄弟だった」(2019年)を観る。この「物語」がロビー・ロバートソン史観によるザ・バンドの歴史にほかならない、という部分はひとまずおく。ロビー・ロバートソン自身がはじめてギターを手にし、バンドを組み、やがてリヴォン・ヘルムと出会い、他メンバーと出会い、ザ・バンドが生まれ、あのファースト・アルバムが出来上がるというのは、やはり奇蹟が起きたと言っても良いような話だ。ロビー・ロバートソンが衝撃を受けたチャック・ベリーやリトル・リチャード、その「衝撃」を、今の僕がリアルに感じることはもはや難しい、が、想像することは不可能ではない。しかしそれとくらべて、ザ・バンドの衝撃とは何だったのだろうか。それはロック・ミュージックがはじめて手にした架空のノスタルジー、根拠のない郷愁のようなものだったのだろうか。僕がはじめてミュージック・フロム・ビッグ・ピンクを聴いたのは高校生のときだが、その未熟な耳にも、そこに古典や伝統のテイストと明らかに磨かれたポップミュージックの艶が同居しているのがはっきりとわかった。どうしようもなく土臭くてイナタくて粘っていながら、それは強く跳ねるファンクネスを有し、圧倒的な速度で疾走し、整理され尽くした手数で段取りされてまとめられ、ときには都会的な乾いた感傷さえ漂わせるのだった。この前向きでも後ろ向きでもない姿勢、音楽そのものの不遜なほどにひらきなおった在り方こそがザ・バンドだった。つまりそれは大人の音楽であった。

そして、なんだかんだ言っても、若いころのロビー・ロバートソンは、やはりカッコいいのだった。ラスト・ワルツのステージに立つ姿と、あの笑顔の決まり方はすごい。腹の内では、ぜんぜん「そういう気持ち」ではないのだろうなと思うが、うわべだけはそういう顔をする。人って、信用できないものだなと思う。でも、やはりカッコいいのだ。これはほとんど絶望的な話だ。どうしようもない悲しみだと言って良い話だ。

あんな感じのタイトなジャケットとパンツ…自分も買おうかな、と思ってしまう。