ハートビート


心臓は、一日に10万回以上の鼓動を繰り返している。この鼓動を連続して発生させているのは、心臓内壁の機関から発せられる規則的な電気信号なのだが、不整脈とは、この信号送信の乱れであり、つまり心臓という機関全体のトラブルというよりは、その一部にあたる電気系のトラブルと考えるべき状態であると言えよう。


通常、人間なら誰でも気づかないような一日に数度の不整脈があり得る。すなわち、不整脈とは症状の出方によってはほぼ気にしなくて良いような類のものでもあり、もし、この事態が生活に何らかの影響を及ぼすようなことがあるのであれば、症状元の個々のケースに併せた固有の対処が必要となって来るであろう。


例えば症状が発生して、体に異変を感じた際「これはヤバイ」と思って精神的に危機感を持ったり不安になったり、パニックに陥ったりするのは、現象を更に悪化させる可能性がある。(先日の自分はまさにこれではないかと推察される。たぶん最初に立ち止まった段階でマインド的にリセットできれば、その時点でその後の状況を回避できた可能性さえあるだろう。)僕の体内で起きた現象は、おそらくさほど大したことではないはずで、どちらかといえば気分の問題に大きく依拠していたと思われる。


ここ数年、いつも当然のように心に澱のように溜まっていて、ある意味当たり前でもあったような「微かに心配」だとか「微かに不安」だとかが、ここに来て、場合によっては上記のような症状と直結するような事があり得るのだとすれば、これらの悪い気分の堆積を、不要データとして処分する以外に処置はありえないし、そのためには、相当大胆に生活自体を変える可能性も視野にいれるべきかもしれない。その対処の仕方は色々あるのだろうが(正面から向かい合って克服する。だとか、もう見て見ぬふりで徹底的に逃避する。とか…)はっきりしているのは、とにかくダウンしてしまってはダメ。という事で、対処方法はどうであれその最下段ラインを割らない事が最優先されなければならない。原因究明より復旧優先という事。


唐突なようだが無理やり書くと、僕はある環境に最良のかたちで適用するために行き続けているのではなく、やはり何か、あるべき何らかのかたちを捜し求めるという、その過程の只中に居続けたくて、行き続けているのであろうと思われる。(ってか微妙だけど)であるならば、その根幹となる肉体を維持管理するというタスクの優先度は何にも増して高い筈である。そう思いたいじゃないですか。


だからこれからは、「俺の行く先は俺が決める」っていう事で…。。より厳密に言うならば、「俺の行く先は俺のハートビートが決めるのさ」。。っていう事でございます。(…ってなんかどっかに落とそうとしてすごい滑ってますが)